感謝なんかしない

家族が帰ってきた声がして、聴いていた音楽を消す。カネコアヤノの『燦々』ってアルバムの曲を流しながら、タマネギを炒めていた。バイトが終わって、(というかフェードアウトして)頭の中を流れていたうるさい言葉が消えた。嫌いな人に会わないと何も考えないんだろうか。怒るために生きているわけじゃないのに、怒っていると生活が輝きがちだ。でも、私は嫌いな人に感謝なんかしない。

カネコアヤノ、言ってることも音もシンプルなとこがいい。あとは、怒鳴ってるみたいな歌い方とか、それがかっこいいこと とか、あんまり顔に色を塗らないところとか、それが綺麗なこと とかに、なんとなく救われるし、そういう新しさ全部含めてポップスターって感じがする。もっと売れないかなあ。でも、紅白出るくらい売れたらそれはそれで困るかも。当たり前なこと言っちゃった。あいみょん、母親も弟も好きで、みんなで車に乗るときはよく流れてる。私も好きな曲あるけど、好きなラブソングを家族で共有できちゃう気持ち悪さってあると思う。しょうがないんだけどね。

春までの過ごし方をあんまり計画できてなくて、不安だ。本をたくさん、がんばって読んだほうがいいと思う。けど、本を読む しか一日に予定がない日は、なんとなく「がんばってる場合じゃないんじゃないか」と思ってしまう。それというのはつまり、自分がやりたいことをするよりも、バイトをして貯金をした方がいいんだろう という漠然とした「ふつう」への憧れである。何を言っちゃってるんだろう。そういうことを思うとき、私は誰を喜ばせたいんだろうか。人を喜ばせられるほどの余裕が、今はどこにも無いことを、不健康だとわかってる。でも、たとえばその選択が異常でも普通でも、私が自分で考えて選んだことは、何一つとして当たり前じゃない。そのことに、図々しく胸を張っていられるように、時間を重ねたい。