会っているけど会ってない人

年末年始、お寿司を握ってパックに詰める短期バイトを始めた。お正月がなくなっちゃうのをすこし残念に思ったけど、カラフルなお寿司を大量につくっている時間はずっと祭りをやっているみたいで、これはこれで思い出になりそう。高校生に高校生だと思われて親切にしてもらって、親切にしてくれるのはいいけど、この帽子とマスクを外して年齢を言ってぎょっとされたらそれはそれで傷つくだろうなあとか冷凍のホタテを運びながら考えてる。若く見えますねって言われるたびに「ありがとうございます」と返さないといけないことにもいいかげん飽きた。人間はみんな老いて死ぬのに、どうして世の中にはこんなにもアンチエイジング思考が幅を利かせているのでしょうか。人間と会うときは年齢に会うのではなくて、ただあなたその人に会いたい。

お寿司はすきなんだけど、午前中のパートの人がずっと何かしら怒っていて、それが目や耳に入ってくるのが不愉快。忙しい人の金切り声を許してあげたいけど、やっぱり嫌いな音はちゃんと汚く聞こえるし、感じよくきちんとした仕事ができる人がいることをもう知っているのでどうしても好ましく思えない。BGMだと思って黙って作業していたら、いつも低い優しい声で喋る人がかわりに謝ってくれた。厳しいことと不機嫌なことはまったく別物なのに、両者はいつもごちゃまぜにされている。べつにいいんだけど。ただ毎日会う人に「私はあなたのことをきっと夢のように忘れることができる」と思うとき、いつもどうしてこんなに悲しいんだろう。自分の優しくなさ を思い知らされるからだろうか。そしてそれを【みっともない】と心底きめてしまっているからだろうか。たしかに好きでもない人と会わなきゃいけない期間は、こうやって自分を追いつめているときがいちばん落ちつく。そういう安心の仕方もある。

頭をさわっているときが一日のなかでいちばん頭がやわらかい気がするから、最近はシャンプーを丁寧にやっている。寝起きに眉毛のあたりをゴリゴリマッサージすると目がぱっちりしてすこし顔が軽くなるみたいに、頭をマッサージしたら性格や毎日がぱっちりすればいいのに。そんなにかんたんにはいかない。でも体が温かいうちに考えることはいつもより少しだけマシ。