ねむれないのはよくないらしい

午後1時、カーテンを一枚だけ開けて、おもちゃみたいなシベリアを食べる。昨日、谷中のちいさいパン屋さんで買った。トートバッグにいれっぱなしにして、忘れていた。おいしい。上司に愛想を尽かし、ついでに病気になったので仕事を辞めたのだが、することもしたいこともない。私が今なっている病気は適応障害と言って、鬱病の一歩手前みたいな、ネットで症状をちょっと読むかぎりだと、単に落ちこんでる人かよみたいな病気なんだけど、これがけっこうつらい。満足に呼吸ができないような慢性的な体の重さがある。でもなんか、これ、気象病ならではのぜん息っぽくもあって、どっちなんだ。とりあえず、この苦しさには名前がついていて、薬がもらえるので助かった。医者にも親にも「眠れないのがいちばんよくないから、だから薬を飲んでとにかく寝るように」と言われた。もらった薬は睡眠安定剤だった。ついにデビューしてしまった。これが病気なら、こんな気分には人生で何度もなったことがあったんだけどな。釈然としないまま、病人である手前、しばらくは病んでいる。

会社を辞めたらもっと清々すると思っていたのに、その日の夜は寝ようとしても、涙があとからあとから溢れて止まらず、寝つけないので困った。最悪な会社だったけど、助けてくれた人がいた。守ろうとしてくれた人がいた。その人に何も返せなかった。それが悔しい。

後悔を感じるとき、いつもその人にもう二度と会えない気がする。生きて同じ国にいても、もう二度と会えない。だからこうやって私は、ひとりで日記を書くしかない。外に細かい雪が降っている。今頃あなたは家に着いただろうか。ねえ、ありがとう。同年代が入ってきてくれてうれしいと言って、アイスコーヒーをおごってくれて、帰りが遅い時には車に乗せてくれて、誰も私のことを褒めたりしなかったのに、あなたは仕事ができないわけじゃない、考え方はあってるからと言ってくれて、ありがとう。

こんなところに書いても届かない。だから口があって声があって、あなた達の隣りに立って生きていたのに、そんなことにも気づかないなんて、私はほんとうにふがいない。どうしようもないからこれからも生きていくしかない。どうやって生きていくかは、もうすこし眠ったら考えるから、もうすこし休んだらきっと思いつくから、どうかあとすこしだけ、夜が終わるのを待っていてほしい。