光の速度で逢いにきて

大晦日って好きだ。
何かを待ちわびているような、この期待感が好き。
何を待っているんだろうか。
来年だろうか。
来年というのは、いったいいつ、やってくるんだろう。
除夜の鐘の音がつれてくるのか、
時計の針が知らせるのか、
それとも、日の出という太陽そのものが来年なんだろうか。
ふしぎ。
いずれにせよ、大晦日は希望に満ちているように思える。
刻一刻と、今年が過去になっていくのも、
なんだか荷物がへっていくようで気分がいい。
どうしてだろう。

今年のことを思い出すとき、秋にやっとできた、0という詩集のことを思い出す。
あの本はわたしにたくさんのものを与えてくれた本だから、
きっとこれからも何度も、あの本について考えるんだろうなぁ。
あっ、そろそろ売り切れそうです。おかげさまで…
でも、増刷するつもり。

宇宙の展示をした。
以前日記を読んでいてくれたひとたちが会いにきてくれた。
いろんな教授とお話しした。
うまれてはじめてサインをした。

どうしてこんなにも言葉に救われているのかわからない。
いつまで、と考える。
いつまでこんなことを続けるつもりなのかと。
いつまででも、と答えている。
いつのまにか。

どうしてこんなにも言葉にこだわっているのかわからない。
たとえば心を揺り動かすような言葉というのは本来、
書物の中にはなく、
大切な誰かとのありふれた会話の中にあったりする。
それをわかっているくせに。

それでも、
たとえばわけもなく憂鬱な1日の終わりに見た、
古びた神社の木々に差す夕日がうつくしかったとしたら、
それを書きとめるたびに幸福になるんだ。
それを誰かに教えたいと思うんだ。
あなたに伝えたい現象がこんなにあるんだ。

わたしの目撃した現象に、ピッタリと文字が寄り添うのを見るとき、そういうとき、
ただのたましいになれたような気がしてほっとする。
何もいらないんだ。
話をするのに何もかも邪魔なときがあるんだ。
わたしの年齢も性別も肉体も顔も声も、
あなたが今まで何を信じて何をして何にとらわれているのかも、
全部いらないときが。
だから時には文字になりたいんだ。

ただの文字になって、
ただのたましいになって、
あなたと話がしたいから。

でもいつかわたしが、いつかあなたが、
わたしでも僕でも俺でもましてや我が輩でもない何かになって、
話ができるようになれたらいい。

何ひとつ捨てることなく、
すべてを手にしたまま、
ただのたましいになって、
ただのたましいになって。