兆し

あけましておめでとうございます。
このブログは年越しまでと決めてたんだけど、どうにも使いやすいから、
たまに書いていこうかなって思います。
特に目的はないんだけど……
こういうのをやってると、先輩とか、あんまり喋らない大学の子とかが、
たまに話しかけてくれて、それがうれしいんだよね。
あと、まったく知らないひとのコメントとかも。
ふしぎな、愉快な出逢いのかたちだよね。
ああそれと、今後こういうテキストを発表するとき、本名をつかおうと思ってます。
べつにどう呼んでくれてもいいんだけど、どうぞよろしく。
 
今日はちょうど1年ぶりに会う友人と町内一周した。
いや……ほんとは喫茶店で優雅にお茶を飲む予定だったんだけど……
やってるかなと思ってた喫茶店がおやすみで……
近くの商店街もまわったけどおやすみで……
お茶会のはずが競歩になっていた。
うっかり町内一周してしまって、最終的には廃校になった小学校の跡地の丘で、
そのへんに転がってたマルタを椅子にしてどら焼きを食べた。
申し訳なかったけどたのしかったな。申し訳なかったけど
ぼんやりしているから、一緒にいるひとをいつも歩かせてしまう。
 
その子は中学校が一緒だった女の子なんだけど、
あの頃は毎日のように電話をして、出かけて、いろんなことを共有していたのに、
今じゃ知らないことが多くて、漠然とした時間の膜のようなものを感じた。
びっくりしてしまった。
 
大人になることも、老けることも、別段こわくない。
幼いことも、こわくない。
でも、たとえば、一週間がいつのまにか終わっているときや、
いつのまにか中学校を卒業して6年たっていると気づくとき、
時間というものが漠然とした不安になって、肌の敏感なあたりに滲んでくる。
こういうよくわからない時間の積み重ねによって、
何かを勘違いしているんじゃないかと、
なにか大事なものを置き去りにしているんじゃないかと思って。