ひと晩中いっしょに起きていてもいいよ

あなたが生まれたとき
太陽はどこにありましたか
知っていることで便利になれる
ことを僕たちはあまりにもたくさん知ってしまいましたから
たまには意味のない質問が必要です

 

誕生日にロウソクを立てなくなった頃と
自分の年齢がわからなくなった頃は
同期しているんじゃないかと思う

あの星
あれが冬の大三角だと教えてくれたとき
理科の授業で習いましたか
それともインターネットで調べましたかと
聞いてしまいたかったことを思い出す

野暮なことをしたい
甘えを流されたい
夜だから
コンビニに行きましょう
新しく発売された
ホットミルクを買いましょう
これ以上勝手に
夜を広くしてしまわないように

線になる夜

夜景って 星のことだと思ってた
街の光をきれいだと思ったことなんて なかったから
違いのわからない いくつものまぶしい点を
写真に撮ろうとしているきみのこと
何ひとつわからなかったけど
ふたつの人影が黒いガラスにうつっているのは
そんなにわるくなかったよ

果たされないことがあまりにも多いから
僕たち 約束をするのかもしれないね

現在はどこまでも限られない丘のよう
こんな広すぎる大きな夜に
いったい何を喋ればいいのかわからない
それでも僕たちは
がたついた一本の線のように
遠くから見ればほとんど何も変わらないのだろう

わかってしまわないように

大学時代、卒業制作のときに苔を育てている友人がいて、よくわからないけどいいなと思っていた。そのことについて最近になってふれたら、本人も「なんであんなことしてたんだろう? ほんとうに意味がわからない……」と言っていて、やっぱり意味はわからないのか、と思った。よくわからないからできるということもあるのだろう。わかってしまったらやる意味がないようなことも、あるではないか、わたしたちの生活には。

 

たとえば目がさめて、すべてがわかる朝がくることもあるだろう。出窓からさしこむ透明な朝のかおり。散らかった枕元の本たちが、あらかじめそのつもりだったと言わんばかりの、静かな佇まいでそこに積み重なる。昨夜まであんなに居心地悪そうにしていたくせに! 呼吸はかつてないほど整っていて、胸が湧くのに興奮していない。肩も背も、羽がはえたように軽い。そんなときにふれているものが、希望なのか絶望なのかわからない。わからないままもう一度眠ってしまえば、次におとずれるのは不完全な朝だから、わたしはまた、わからないまま一日をもう一度始めることができる。わかってしまったら、そこでこのお話はおしまいなんだ。

きみの頭はいつもおかしい

今週のお題「私の癒やし」

 

日曜日の長さに耐えきれないなら
いろはす買って
公園にでも行こうか
間違ってもどうでもいい
映画に行こうと誘われて
頭をおかしくされないように

パンもコートもいらないくらい
綺麗な石を拾いに行きたい
いつになく静かな気分だ
こんなとき きみは
どんな音楽を聴くんだろうか
今度会ったら教えてくれよ
覚えていたらでいいけどさ

雑草の名前がわからないんだ
あれはタンポポ
これは猫じゃらしだろうけど
あの綺麗な
ぴかぴかしたまっすぐな草 なんて言うの?

愛ってものがあるんだとしたら
それは素敵なことだろうけど
女の裏声や
男の香水の
よさは僕にゃわからないままだし
ファッションのすべてがセックスアピールにうつるなんて
正直 どうかしてると思うよ

どうかしてない人生なんかないってことも
知ってるさ でも苛立たしいのは事実だから
拾った石はすぐに投げて捨てるよ
もしもきみが月曜の
帰り道 どろどろした石につまずいた時には
僕の頭をおかしくしてくれてもいいぜ

わたし達はずっと気づきたかった

一日を始めるためには
やわらかい水がてのひらに一杯あれば
それで充分

てらいなく
ほしがること
無闇になげかないこと
それさえ気をつけていれば
いつまでも傷ついている
気弱な子どもにならずに済む

顔に水をください
四半世紀生きてきた
この顔に一杯の水を
ぶつけてください
思いっきり。

水の効力が弱まる昼過ぎ
強い頭痛におそわれ
ああ ガーベラが枯れたな と思った
それはただの勘だったけれど
部屋についたら本当にそうだったので
あながち勘もあなどれない

ありがとう
今まで
やさしくしてくれて
無意識につぶやく
誰にともなく
とも言えるし
誰彼かまわず
と言うことだってできる
そんな温度で

切り花が枯れるとき
いつもさよならの詩を思い出すのだ
この身に一本の
背骨のありかを気づかせる
さみしくて強いことば

花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ

花を飾ろう

 癒されようと思って、白いガーベラを一本だけ買って帰った。友人からもらった一輪挿しに活けて寝た。すこし長い茎が、夜まではへなへなと曲がっていたのに、朝になると天から吊られているようにピンと伸びていた。しゃんとしろと言われているみたいで、うれしかった。背筋を伸ばして、きちんと人と向き合いたい。わたしはけっこう、だらしない人間なので、そういったことをひとつひとつ確かめていかないと、すぐに忘れてしまうんだ。ところで、朝になるとトランペットの音階練習が聞こえる。このあたりにはパズウが住んでいるんだろうか。

からだは透明なコップだから

 駅の出口から団地のあかりが見える。団地。一生住まないと思う、集合住宅が嫌いだから。それが今日は、ひとつの生き物のように煌煌とかがやいて、見える。光の温度がどことなくやさしく、月明かりのように霞んで見える。なんだこれは。嫌いなものを受け入れられるようになるときというのは、理由などなくあっけないほど一瞬で、すこし魔法じみている。
 高校生の時、大人に言われた「今がいちばんいいとき」って言葉、嘘だったな。全身くたくたに疲れているけれど、それすらも水泳の授業のあとのようにうれしい。学生のときは、引っ越しも転校も退学もできなかった。でも今は違う。望んだ自由と不都合のなかで、シーソーゲームをしていくだけだ。その緊張感がとても心地いい。もうしばらくのあいだは、わたしは自分のためにしか生きないで、わたしを満足させてやろうと思っている。
 たましいをしまっておくための透明なうつわのようなものが体だとしたら、わたしのコップはまだ仕上がっていなくて、水をそそいだらこぼれてしまう。これではまだだめなのだ。アイスコーヒーでも、ハーブティーでもなんでもいい。何をそそいでもうっとりとしたきもちで口を当てることのできるような、そんな丈夫なコップがこの身にほしい。