三月はいいにおい

話題が無くて、すきな季節は何かと聞かれたときに、秋と答えたことがある。その人は春が好きだと言っていた。春はいいにおいがするからだという。歩いていたら思い出した。

すっかり昼夜逆転してしまって、昼過ぎまで寝ている。医者にはいいことだと言われたけど、世の中のしくみのことをすべて忘れてしまいそうで不安になる。とは言え、寝るのだけど。すっかり暗くなってからコメダに歩いて行くと、甘いにおいがする。夜に甘いにおいがするというのはふしぎだな。田舎では夜に出歩いたりしないから、街路樹なんてご親切な自然はないから、気づかなかった。これは東京ならではの季節と思う。そういえば、この前会った友人が、ロウバイはいいにおいがすると教えてくれたんだけど、かがないまま白梅が咲いてしまった。そのうち桜も咲くだろう。

ねむれないのはよくないらしい

午後1時、カーテンを一枚だけ開けて、おもちゃみたいなシベリアを食べる。昨日、谷中のちいさいパン屋さんで買った。トートバッグにいれっぱなしにして、忘れていた。おいしい。上司に愛想を尽かし、ついでに病気になったので仕事を辞めたのだが、することもしたいこともない。私が今なっている病気は適応障害と言って、鬱病の一歩手前みたいな、ネットで症状をちょっと読むかぎりだと、単に落ちこんでる人かよみたいな病気なんだけど、これがけっこうつらい。満足に呼吸ができないような慢性的な体の重さがある。でもなんか、これ、気象病ならではのぜん息っぽくもあって、どっちなんだ。とりあえず、この苦しさには名前がついていて、薬がもらえるので助かった。医者にも親にも「眠れないのがいちばんよくないから、だから薬を飲んでとにかく寝るように」と言われた。もらった薬は睡眠安定剤だった。ついにデビューしてしまった。これが病気なら、こんな気分には人生で何度もなったことがあったんだけどな。釈然としないまま、病人である手前、しばらくは病んでいる。

会社を辞めたらもっと清々すると思っていたのに、その日の夜は寝ようとしても、涙があとからあとから溢れて止まらず、寝つけないので困った。最悪な会社だったけど、助けてくれた人がいた。守ろうとしてくれた人がいた。その人に何も返せなかった。それが悔しい。

後悔を感じるとき、いつもその人にもう二度と会えない気がする。生きて同じ国にいても、もう二度と会えない。だからこうやって私は、ひとりで日記を書くしかない。外に細かい雪が降っている。今頃あなたは家に着いただろうか。ねえ、ありがとう。同年代が入ってきてくれてうれしいと言って、アイスコーヒーをおごってくれて、帰りが遅い時には車に乗せてくれて、誰も私のことを褒めたりしなかったのに、あなたは仕事ができないわけじゃない、考え方はあってるからと言ってくれて、ありがとう。

こんなところに書いても届かない。だから口があって声があって、あなた達の隣りに立って生きていたのに、そんなことにも気づかないなんて、私はほんとうにふがいない。どうしようもないからこれからも生きていくしかない。どうやって生きていくかは、もうすこし眠ったら考えるから、もうすこし休んだらきっと思いつくから、どうかあとすこしだけ、夜が終わるのを待っていてほしい。

きみのとうふのたましいを

今日は北区の図書館に行って来た。無職だった秋に都内の図書館を観光していたんだけど、それを久しぶりに再開した形になる。この観光のいいところは、知らない町を歩けるという点だ。図書館というのは基本的に駅からそれなりに離れたところにあるから。私は知らない道をぼんやり歩いてるときが好きだ。自由だなと思う。暮らしていると、いつも見たことのある道ばかりを選んで、行ったことのある道をその通りに歩いてしまうけど、ほんとうはどこにでも行けるし、どこでも生きてはいけるんだ、ということを思い出す。自由という形のないものは、ものごとを定義する脳のやわらかさがないときにしか手の中に見つけられない。しかし、自覚すればすぐにでもこの手につかむことができる嗜好品なのだ。だから私達は、知らない町の知らない景色に、これからも何度でも救われることができるだろう。

駅前に手作り豆腐の専門店があり、何の気なしに立ち寄って、気づいたら絹ごし豆腐を一丁買っていた。手作りだから、とか、専門店だから、といった付加価値にそこまで信用を感じなくなったので、ほんとうになんとなくだった。ただ、家に着いて、味噌汁をつくるときにその豆腐を取り出したら思いがけずどきどきしてしまったので驚いた。そのずっしりとした厚みや、包丁で一筋いれた断面のきめ細やかさに、息をのむような美しさを感じて、キッチンで数秒かたまる。ああ。生活なんかどうでもいい。でもちょうどこんな風な、人のたましいのあっけなくもろいところを、この手で慎重につかみとりたいと思うことがある。この感動をいのちと呼ばずして、どうしようというのだ。

やわらかい月曜日

冬の日のいいお天気って、なんてすがすがしいんだろう。ずっとこんな青空なら、ずっとこんな分厚いセーターで、肩をとがらせていたって構わない。人の家から出て、言葉少なにぼんやりと歩いている、そんな自分がすこし不思議だった。昨日は、以前の職場の先輩と会ってお茶していたんだけど、流れでお家に遊びに行って、前から約束していたタコパを旦那さんと3人でやって、そのまま泊まってしまった。私がはじめての来客だったそうで、布団がないからって、旦那さんが、酔ったままピカソに布団と寝間着を買いにいってくれた。やさしい人たちだった。トランプをしたけど、大富豪もダウトもババ抜きも、ぜんぶ負けちゃった。トランプってなんで勝てないの? 他愛無いことしか話さなかったけど、それで充分たのしかった。これからもっと寒くなるとしても、あの新品のふとんの寝心地が、たぶんしばらくは残って、私の背中を温めてくれると思う。

ポーズ

帰省したとき、家族と初詣に行けなかったので、ひとりで浅草寺まで行ったのだけど、さみしすぎて死ぬかと思った。初詣というのは、人と行くからいいのだな。というより、人とできることの一つとして、初詣がすきだったのだ、きっと。人混みが過ぎて、しばしば仲見世通りの塊はもぞもぞと停止。その度に漏れ聞こえてくる人の声が、「混んでるねー」「神様とかそこまで信じてないけど」「舟和のイモ羊羹食べれればいいかな」なんて、似たようなことを喋ってる。そうだった。私達は自分のことすら切実に祈ってなんかいないのだ。そうやってぐずぐずになっていく感情をこの手で締めあげたくて、五円玉を握りしめたけど、人混みに水を差されるばかりだ。着物姿の可愛い女の子に写真を撮ってほしいと頼まれて撮ったりなんかもして、その子たちの笑顔はほんとうに素敵だったんだけど、そのスマホケースの分厚さのぶんだけ心が遠くに行ってしまうみたい。

そんな風にぼんやりと、心が固まったり和らいだりをくりかえしている。今年は自分のどこかを壊してでもいいから、何かをつかみたい。ちなみに、おみくじを引いたら凶だった。

風にアルコール

誰も隣りに立っていなくてきもちいい。

駅前。厚着した人間達の背中。たこ焼きを買うために並ぶ家族。花屋の店先が、いつの間にか和風になっていて、年末だなと思う。立ち止まって、何か買うか迷う。買わない。昨日のお酒がたぶん身体のどこかに残っていて、私の頭はぼんやりしている。寝すぎたせいもあるだろう。

大きな飲み会のあとは、きまって寝こんでしまう。あまり喋っていなかったからか、気だるさだけを引きずる形に落ちついたが、もし喋っていたら、眠りにつくのも遅かったかもしれない。滅多に飲めなさそうなお高い日本酒があり、会はやけに盛りあがった。すっかりくたびれていた私は、二次会の予定を立てる社の人をさしおいて、同僚と帰った。タクシー代を出すからいっしょにタクシーで帰ろうと何度か誘ってもらい、同乗して帰ったのだった。言葉少なな帰り道に、なんとなく「これは優しさだな」と感じた。ひとりで歩いて帰るつもりだったのを見透かされているような気がした。あとはすこし、守られているような感じもした。

守られるだなんて、今更だ。これはその人に対してではなく、この世界への感想だ。戦いすぎて、優しい人がいるということをたまに忘れたくなる。優しくされると、ひどいことをされたということに気づかされるから。残酷な人にも優しくしたいと思って、なんとか生きて来たのだ。そういう自分なら好きになれそうだと思うから。優しさを、美しさとして信仰している。私にはそういう類いの弱さがある。

ほんとうは、みんなそこまでわるい人じゃないのかもしれない。それでも、私を好きだと言ってくれる人が、私だけを好きになってくれるわけでもないから、物足りなくて好きになれない。女の子だからがんばらなくていい、適当でいいと言われほんとうにがんばらずに適当に、ゆるゆると生きて、愛されても、なんとなくつらくなって、慰め合って、そんな人生はしょうもないね。守られるな。戦えよ。

寒い季節だ。これ以上ぼんやりと過ごしてしまうのはきっと苦しいから、今はつめたいものだけに抱きしめられていたい。

銀のハートマーク

今日は予定もないから、小さな銀のハートマークを、てのひらの上でころころ転がしている。中になにか入っていて、揺らすと低い綺麗な響きがする。こういうのも鈴って呼ぶのかな。昨日会った友人に、クリスマスプレゼントでもらった。他にもお茶とかカードケースとか色々いれてくれてたんだけど、これがいちばん好きかもしれない。つかっているのは耳だけど、ろうそくの火を見ているときのようなきもちになる。

3連休なんていつぶりだろう。いつ過労で人が倒れてもおかしくないような職場で、実際に倒れた人への仕打ちや言い様を見ていたら、苦しくてかなしくなった。かなしいことが起こるたびに、私の思うやさしさや正しさは、私のなかにしかない幻なんだろうかと思う。どうして平気で、人のこころやいのちを削るようなことができるのか。一度も傷ついたことがないのだろうか。私は誰かの傷になることがこわい。

強い風にふかれているとき、なにもできはしないように、いつも立ち尽くしていた。飛ばされないだけの自分だ。怯えや弱さからしか親切にできないことを、誰にも愛と呼ばないでほしい。