あたま

朝のひかりのつめたさに頭痛がする。目を細めてもじゅうぶんに明るいのに、11月の朝7時過ぎを歩くには、この上着はもう軽すぎたみたいだ。薄いむらさき色のコートの前をあわせて、深呼吸する。このコートは私にあまり似合っていないけど、まるでいつか見た朝焼けみたいな色だから、羽織って腰のあたりの色を見下ろすのがすきなのだ。

ひかりにも頭とからだがあるだろうか。だとしたら、私の目にとどいているものはきっと頭だとおもう。いつもそれはおおきくて重たいから。

実体のない焦りと不安でぼーっとする。休憩時間に読もうと思って鞄にいれた本を、休憩時間に読めたためしがない。それでも毎日のように取り出しては戻す自分の仕草は、なんだか使わない教科書を運ぶ小学生のようで。

冬の終わりとはじまり

徹夜して美容院に行った。40分くらいバスに揺られる予定があったから、アップルミュージックをいじくり回していたんだけど、秋の午前中に似合う曲がわからなくて、あんまり冴えなかった。頭がぼんやりしていて、美容院の鏡にうつってる自分の目がなんだか弱っちいと思った。夜に寝ることをいいかげん思い出さなくちゃ。

夕焼けのオレンジ色に、鶴を折るときのようなやさしさで、こころに丁寧な皺をつけられる。こんな時間に外に出ていられるのもあと2日と思えば、目にうつる全てがどこか慕わしい。11月から新しい仕事がはじまる。決まったときはうれしかったんだけど、ものごとのはじまる前っていうのがいつも苦手だから、今はもう、うれしいっていうよりこわい。新学期の前、合宿の前、冬の終わり。でもそういえば、大晦日は好きだ。年末、12月中盤までの忙しさをくぐりぬければ、あのあったかいだらしない一日がくる。そう思えば。そう思えば長い冬を、きっと自分の手ではじめることもできる。

ひかりに疲れても

ひとりでいることにつかれちゃって、夕方のコメダ珈琲でぼんやりしてたら、LINEにメッセージがきた。正直ほっとした。iPhoneの振動は動物の身震いみたいで好きだな。8年間同じガラケーを使っていたときは、意地でもLINEなんかしないって突っぱねてたのに、人って変わるよねー。LINEって最高。みんなとつながっていられるなら、不服な進化も受け入れるよ。きっとね。ぬるくなったカフェオレを飲み干して、私は生活を再開する。スーパーに行くのだ。

よくわからないんだけど、朝のひかりの言うとおりに起きるとつかれてしまう気がして、午前中は寝ていたよ。よくわからないっていうのはつまり、理由がわからないってことさ。孤独につかれちゃったのか、それとも周期的なものなのか。そもそもつかれってなんだよ。生まれてこのかた、つかれてるような気もする。怠惰を性格にしちゃ損だな。

やけに道路に枝が転がってるから、うお、熊かと思ったけど、そういえばここは東京で、昨日は台風だった。みんなは大丈夫だった? とりあえず、足下の障害物によろけながら生きていこうね。それでいいんだよ。私はあなたのそばにはいないけど、同じ方向を見ていると思う。そこのあなたも、あっちのあなたも私のそばにはいないけど、信じてるよ。信じることにはつかれないんだ、何故か。

海のむこう

夜中にエッフェル塔の写真が届く。指先でズームする。フランスにいる先輩と、交換日記のように時差のあるLINEのやりとりを続けているんだけど、これがなんだかとても楽しい。なぜフランス人はフランスパンを剥き出しで持ち歩くのか、という考察が名文なので、みんなにも読んでほしいくらいだ。

ここ数日、杉崎恒夫さんの「パン屋のパンセ」を読みこんでいる。私は一度読んだ本を読み返すってことを滅多にしないから、これはかなり好きってことだ。たった一行の透明な世界。肺炎で亡くなられたからだろうか。文字にふくまれている酸素が多い気がする。ぜん息気味のときに読むと心地いい。もっと書きたいことがあったような気がしたけど、もう亡くなってしまった人の本を買っても、もう読んでもらえない感想を書いても、なんだかしょうがない気がする。間に合わなかった感想を書いている。

不可思議/wonder boyも笹井宏之さんも26歳で亡くなった、ということを8月の誕生日以来、やけに思い出している。よくない傾向だ。死ぬことにも生きることにも、意味なんてない。作者の死によって作品が完成するとほんとうに思っているのであれば、かんぺきな一編の詩を書きあげた、あのはじめての朝に死んでいればよかったのだ。

覚えている

連休中は祖母の3回忌があり、実家に帰省した。前日、末の弟がピアノを教えてほしいとせがむので、途中まで読みを書いてあるジムノペディの楽譜を渡して、ピアノで遊んでいた。そういえば今までも何度か頼まれて、その度冴えない返事をしてうやむやにしていた。教えられるほど、ピアノを知っているか不安だったのだ。楽譜は昨年の夏休みに買ったものだ。まだ弾けない。しかしバイエルは捨ててしまっていた。電子ピアノの鍵盤を撫でて、基準となるドの話やト音記号ヘ音記号の話、シャープの効果など、ごく基本的なことを話した。ピアノを習っていたのはもう十五年も前のことなので、自分がすらすらとそういった情報を口にするのを不思議に思った。

身体で覚えたことを、覚えていることをいつも不思議に思う。言葉で思い出せないことはすこし信用できない。弟は今年大学生になったのだが、今でもギターでの作曲をつづけているらしく、楽譜の読み方がわかってうれしいと喜んでいた。ピアノとギターの違いも教えてくれたのだが、私はあんまりよくわからなかった。まあこいつが楽しいならいいかと思って流して聞いていたのだが、ふと「姉ちゃん、最近絵を描いてる?」と聞かれた。本ばかり読んでるよ、と言ったら、絵も描いた方がいいよ、と言われた。てらいなく言うので、そうかもしれないなあ、と思った。

乳白色のはだか

明け方の5時、寝つけなくてゴロゴロしていたら、フランスにいる先輩からセーヌ川の写真が送られてきた。美術館の絵で見たことがある景色のような気がするなあと思った。「フランス人がフランスパンをむきだしで持ち歩いてるところを目撃したら、私に教えてくださいね」と返信した。

今年の夏は暑すぎて、せっかく時間があるのに美術館にめっきり行ってなかった。ちょうど独りに煮詰まってしまったと思っていたので、今日はどこかに行くことにした。展示情報を見てみたけど「これだけは行かなくちゃ」って直感的に思えるものがどうも都内にはない。東京都美術館の展示室が個人的に好きだからという理由で、藤田嗣治展に行くことにした。夕方に歩く上野は、多少落ちついていた。藤田嗣治は裸婦画が有名だと聞いていたから、「男が描いた裸の女の絵なんかにぜったいぜったい感動しねえぞ」と喧嘩腰で行ったのだけど、乳白色の下地で描かれた裸婦画のゾーンには神々しさすら感ぜられる 光、のようなものがあふれ返っていて、これを美術と呼ばずしてなんて説明すればいいのか、とわけがわからなくなってしまった。くやしいけど、圧倒的な何かに価値観を打ちのめされる嬉しさというものがある。私はそれを感動だと思っている。

そもそもなぜ裸婦画に嫌悪感があったのかと言えば、人間の裸を見たくない というきもちが、どうも人より過分にあるからだと思う。その理由は色々とあるのだけれど、性を感じることが私にとっては恐怖なのだ。裸というものを性愛と切り離して描いている作家がこの世にどれだけいるだろうか。私は画家の描く女体を見ると、いつも「女として俺たちを魅了してみせろ」と迫られているような気がしてウンザリするのである。巨匠の展示に行くとほぼ必ずある裸婦のコーナーを、女性はどんな気持ちで見ているんだろう。なあ、どう思ってるんだ?

と、いうことを踏まえても、今日見た絵はなんだか素晴らしいものだった。絵を描く人の冷静と情熱が好きだ。私を悩ませてくれて、どうもありがとう。

同盟サイト/やわらかい椅子

台風なのにコロッケを買うのまた忘れちゃった。台風の日にコロッケを買う文化を知ったの、私は最近なんだけど、みんなやったことあるのかな。小学5年生くらいからパソコンで遊んでるけど、知らない慣習が多くてびっくりする。インターネットの匿名性がもっと高くて、掲示板とかそういうのが今よりずっとずっと活発だった頃、パソコンってもっと、どこにつながってるのかわからないドアを開ける装置みたいな特別感があった。基本的にみんな用心深くて、臆病で、丁寧だった。好きな少女マンガの同盟サイト(なんてなつかしいことばだ!)で知り合った年上の女の子とペンフレンドになって、親に怒られたりして。いや、ほら、親はテレビのニュースでしかインターネットを判断しないからね。まあ何を言われてもやりたいことはやめないんだけど、そんなちょっとした反抗も含めて、あの頃たのしかったな。その人とは、結局10年間文通していた。連絡をとらない期間が間に1・2年あったりしたんだけど、10年して、東京で初めて会ってお茶を飲んだときに、ああ、こんな風に人と出会うこともできるんだってことがシンプルにうれしかった。

田舎だったから、小学校は1学年1クラスしかなくて、それも24人しかいなかった。あからさまないじめを受けたことがないかわりに、誰からも好かれていなかったし誰かに特別な興味を持ったこともなかった。毎日ぼんやりとしていて、混ぜてもらった交換日記はいつも自分の番でとめちゃうし、休み時間にドッチボールに誘われても、それを断ってパソコン用のやわらかい椅子に座ってくるくるするのが好きだった。そういえば、それに気づいて私とあの椅子をとりあってくれた女の子がいたんだけど、あの子元気かなあ。高校生になるまで自分から人に声をかけたことがなくて、相づちしか打てなかったから、あのときの私が文字によるコミュニケーションに目覚めたのは本当に必然的だった。今、身の回りにいる人たちとその子たちを会わせても、きっと友達にはなれないだろうけど、それくらい何かが違うんだけれど、あの頃、もっと自分から人に何かを質問してみればよかった、と思うことがある。時機という、目に見えなくてあまりにもくっきりと私達の間に腰をかけているものが、それをさせてはくれないけれど。

後悔というのは長く生きた人間の嗜好品なのかもしれない。この先、変わっていけばいくほど、「あのとき今の自分であの人に出会えていたら」と思うことがきっとたくさんあるんだろう。そういうことを支えにして、こうしてたましいの痛む部分を確かめている自分を、そんなに悪くない、と思いたい。