あたたかい果物

自分が気に入って買ったものがほとんどない部屋で寝たり起きたりしているの、なんだか無防備すぎてメチャクチャになりそう。メチャクチャになりそうなのは決まって気分が落ち込んでいるときで、調子がいいときはそんなこと思わないのだから、調子がよくないのだろう。半年くらい客間で過ごさせてもらっていたのだけど、いいかげん部屋をつくろうという向きになって、亡くなった祖父母の部屋を整理している。そもそも一時的に泊まるだけのようなつもりで実家に引越してきたのだから、誰のせいでもない。

もう祖父も祖母も亡くなって数年以上経つのに、まだ生きているかのように話してしまうことがある。部屋のせいかもしれない。祖父が元気なころ、趣味で桃やプルーンを育てていた。よく晴れた日に、高い所にいる祖父から桃を受けとって、「そっといれろな」と言われ、そっとカゴに投げ入れたことを今でもたまに思い出す。祖母に笑われながら「そういうことじゃない」と言われた。覚えている。

ずっと家にいるとなんだかいろんなことにナイーブになってしまうから、そしてそれが気分のせいなのか部屋のせいなのか人生のせいなのかよくわからなくなるから、思いつきで、林檎のジャムをつくることにした。赤い球体を回転させながら包丁で皮を向いていると、「お見舞いみたいだ」と思う。ベッドの横で誰かのために果物を切る。そんなこと、した覚えがないから、きっとアニメで見た記憶だろう。包丁をつかったり、水気がなくなるまで煮込んだり、時折へらで掻き回したりしていると、頭のなかから言葉がなくなって心地いい。煮込んだばかりのジャムを味見すると、前につくったときよりも甘さが足りない。でも冷えたら近づくかもしれない。わからない。いろんなことはいつも、私が思うより苦かったり甘かったりする。

あなたのつまらなさにいつも傷ついていた

マグカップ、忘れるところだった! と言って、職場に置いてるムーミンのマグカップを見ていた人が、翌日ちゃんとそのマグカップを忘れていった。それを片づけの日に預かって、バイトが終わって、ちょっと日を置いてからその人に連絡して、お茶をしにいった。バイト先の近くにある、鳥の名前のカフェに行ってみたかったからそこを提案したんだけど満席で、だめだったから田んぼの脇にあるカフェに行った。過去につきあっていたDV彼氏の話とかを、ちゃんとオチもつけて惜しみなく話してくれるような人だから、思ってた通り数時間お茶2杯でたのしく過ごせた。かわいいクマのクッキーをくれた。私は、時間や気持ちの使い方がケチじゃない人のことが好き。

話をしていたらその人が以前東京で勤めていたブラック企業の話になって、芋づる式に私が今年のあたまに辞めた会社のことが思い出された。最初は単に、話に同調していることを示すためのお茶請けとしてそのことを話すつもりだったのに、「ほんとうに嫌いだった」という言葉を口にしたとき、やけに高めの熱がこもってしまったから、私の冷静なポーズは一度そこで台無しになった。

前の会社には朝礼で自分のことを「お局様です」と紹介する女性がいた。その人のことが嫌いだったし、その人にされたことのなかでその自己紹介がいちばん嫌だった。自分を茶化すのと馬鹿にするのってぜんぜん違うと思う。もしかしたら、そうやって自分の振る舞いや立ち位置を嘲るように称することで許されたかったのかもしれない。でも笑えないし。誰も笑ってなかったし。どんなに自分のことを嫌いでも、生活を仕事をキャリアを気に入っていなくても、自分で自分のことを馬鹿にしちゃだめだと思った。見ていて傷つく。

もうそういうの忘れるところだったし、忘れたことにして働いていたし、たぶん忘れちゃったほうがいいんだけど、私の2019年というフォルダの中にその人は大きく居座っていて、その人をその人にされたことを記憶を捨ててしまったら、生きのびようとした今年の私のたましいまで欠けていってしまうような気がするから、しばらくはまだ傷ついたままでいい。だって、出会ってしまったのだ。もう元には戻らない。苦しくても惨めでも、それでよかったと思える自分になりたい。なれると思う。今なら。

その日は鳥の名前のカフェのリベンジをしよう、と約束して別れた。すっかりそのカフェのプリンを食べたい口になっていたから、満席だと知ったときはかなしかったのだけど、こうして次の約束の口実になるなら、それでよかったのかもしれない。

自由の適用範囲

右折して、目の前に下がり途中の太陽がやってくる。フロントガラスがすこしのあいだ白んで、また透きとおる。まぶしさのなか、からだのすぐ脇を大きなトラックが通り過ぎて行くから、胸元がスカスカする。肩のあたりで固まっている力を流す。私は息をつくことがすきなんだけど、それっていつも緊張しているってことかもしれない。そういうことに気づく度に、今さら傷ついたりしないけど、なんだ、って思うくらいはする。生活に緊張感がほしくて労働したりものをつくったりしているようなところがある。でも呼吸のスピードで逃がせるような緊張感はさっさと捨ててしまったほうがいい。

東京行きのバスチケットをネットで予約する。新幹線だと片道5000円、バスだと往復5000円。私はスピードにはこだわらないから、お金のことを考えたら絶対にバスの方がいいんだけど、それだと行って帰るだけで一日が終わってしまう。画面をクリックする度にニュースで見た事故や、先日のことを思い出したりする。車が引き起こす事故の可能性が0になることはないらしい。それでも車がある世界を受け入れて生きている、というか、世界について受け入れるとか受け入れないとか、そんな選択肢はなくて、ただ世界を恨むか恨まないかという問いかけがあるだけなのかもしれない。

疲れてるおかげ

バイトが終わって、バイト中はできなかったことをやって自分を自分に戻している。それはつまり、すこし厄介な本を読んだり、深夜ラジオを聞いたり、カロリーの高い映像作品を見てみたり、といったことなんだけど、まだまだ自分に届くには時間がかかるみたいだ。本は一度に読み切れないし、ラジオを聞いてる途中で寝てしまう。

片づけの日の午後、大粒の雨が降って、それをしばらく覚えている気がした。帰る頃には虹が出そうなくらいに気持ちよく晴れていて、何かが終わって人と別れる日にはうってつけの天気に思えた。あまりものごとの終わりに執着しない性格で、卒業式でもろくに泣いたことがないのだけど、もうここに来てテラスの落ち葉を掃くこともないのだということがなんだか胸に余って、帰りがけにカフェが併設されている本屋ですこしぼーっと立ったり座ったりしてから帰った。この2ヶ月間、べつにいいことだけがあったわけじゃないけど、私を元気にしてくれた場所で、時間だったと思う。駐車場から見える夕焼けがうつくしく、太陽がただやさしく見えるのは疲れてるおかげなんだと思った。雲海も水たまりも静かにオレンジ色の光に滲んでいた。

欠けない

自分のことを相づちを打つ機械にできるから、接客で人と関わるのは好きだ。いらっしゃいませ。店内のご利用ですか? お席までお持ちしますよ。ミルクはご入用ですか? 自分の話をせずに、こだわりを押しつけずに、ただ人のしてほしそうなことをして、言ってほしそうなことを言って、笑っていれば、恨まれることも深入りしすぎることもない。できるだけ人に優しくいたいけど、その思いだけになれるための条件がいくつかあって、ただの私でいると、自分の過去や夢がうすい牛乳の膜のようになって邪魔をするのだ。その膜ににくるまれてしまうと好き嫌いが生まれて、すべての人に笑いかけられない。だからレジに立つ度、いらっしゃいませと言う度、自分の人生を忘れたふりをする。大事なことを話さないようにする。その分だけ他人が遠くなって、他人のなかの私が歪んでいくのがわかる。だとしても、私が他人にがっかりしてしまうよりは幾分マシに思える。

自分から突き出ている棘の在り処を見誤る。それで取り返しがつかないほど傷つけてしまった人のことを思い出すと、お腹の辺りの血がビリビリとして、ただでさえひどい猫背に拍車をかける。気に入っている思い出よりも自分を責め立てる思い出を、欠けないように運んでいるのは何故なんだろう。きっと自分に衝撃を与えることが趣味なんだろうと思っていたけど、悩むことも苦しむことも、状態ではなく性格の一部なのかもしれないと最近では思っている。

星とアプリ

帰り際に「もうすぐお別れだから一緒に星を見たい」と頼まれた。可愛すぎてウケてしまった。(ポカポカ殴られた。)今やっているバイトもあと一週間ちょっとで終わりなので、そろそろシフトが合うのは今日が最後 という人が出てくる。ひとしきり笑い終わった後「流れ星が見えたらどうする!?」と聞かれて「泣いちゃうかもしれない…」と答えたら「泣きそうにない言い方」みたいなことを言われた。その人は可愛いけど、私は可愛げがない。

4人くらいで暗くなったテラスから星空を見ていて、すごく寒かったんだけど、星のアプリを夜空に翳して、バイト先の人達が星の名前を読みあげていくのを眺めながら、これ、思い出だーと思った。この季節のことを振り返る時に、クローズアップされる風景の中に、今入ってる。そんなことを、こんなに冷静に思っているってことは今に集中してないってことなのかもしれなくて、すこし後ろめたいけど、私は未来の思い出の中にいることが、なんだかとてもうれしかった。

機嫌その値打ち

見返りを期待して人に礼儀を払っているつもりはないのに、聴いている音楽をバカにされると傷つく。中途半端に紅葉した山を写真に撮らない。あなたと会ったり話したりすることを、単なる趣味にするつもりはない。それを道徳と呼ぶのもいいかもしれない。だとしても、嫌いなものを好きと言わないことくらいでしか、私のことを私のままにしておく方法がない。だからこそ確信をもって、選ぶ言葉をまちがえたい。

すごく嫌な気分になったときに、すごく嫌な気分になりましたと伝えて機嫌がよくなったことはない。がっかりしたくないから、迂闊にほんとうの感情なんか見せたくない。それでも毒を毒のまま人に渡してしまうことは、私やあなたのため、というよりは言葉のためだと思う。わかってもらえないとして、それでもいい。自分と相手を傷つけることで守れるものも、いくらかはあるから。いれたばかりのコーヒーも紅茶も熱すぎて飲めない。火の味がする。