勝手にあきらめたりなんかするなよ。

じゃぶじゃぶに砂糖をいれて
かきまぜたばかりのコーヒーみたいな
甘ったれた気分だよ
ちょっと話をしたいだけで頼んだ
飲みものはいつも 黒さをもてあましている

悪いね

きみの思いえがいている夢のどこに
自分を歩かせたらいいのか思いあぐねても
いつも何ひとつ ひらめかないから
こうして会話が足りなくなるよ

なぜかな

知らない国に行きたいなあ
たくさんの日本語を覚えたのに
ひとを好きになるたびに言えないことがふえていくなら
言葉なんてすべて忘れてさ
野生の動物を抱きしめるときに頭
ふにゃふにゃになっちゃう柔らかさ
あれを愛って呼んで暮らせばいい

なんてさ

それほど事態は深刻じゃないんだ

みんなして
自分はひどい人間なんだって打ち明けたくなるような夜の
ネオンはひときわ綺麗だよなあ
実際 そういうみっともない
告白のすべては遠からず当たっちゃいるんだけど
きみはすこしくらい僕を傷つけてもいいんだ
ひとまずこのメールじゃそう言っておくよ
人知れずうしろめたいきもちでいたところで
僕は気づいてなんかやれないし
死ぬほどドロドロに泣いたって
のむヨーグルトを飲んだらあっさりと出かける明日の
朝にも会いたい人がいて
そのなかにはまだ きみが含まれているんだから
勝手にあきらめたりなんかするなよ

ためらうような夜がかなしい

祖母の葬儀のために長野に帰省した。急いで職場に連絡をして、休ませてもらった。ふしぎと心は落ちついていた。実は、通夜で父や弟が声をあげて泣くのをはじめて見るようなきもちで見ていた、わたしは何が起きたのかすら、まだよくわかっていないのかもしれなかった。通夜や告別式がこれでよかったのか、そういうことを逐一かんがえながらお線香をあげていて、ためらうように微笑んでいて、こんなんじゃあまり弔っているとは言えないと思った。祖母の寝顔やからだにかかる白いふとんのうつくしさになぐさめられる。儀式におしこめられるとき、いつもこころが風景に追いつかない。

呼びつけられたわりには、父からたいした仕事をもらわなくて、準備のときの唯一の大任は、花をいけることだった。買ったものや、もらったものを花瓶にいけてほしいと頼まれて、昼間の庭で3つの花束と対峙した。日差しのつよい、すばらしい晴れ間だった。実家にいてあんなにしずかになれたのは、あのとき一瞬だった。束ねられた花をひろげて、ひと目、とにかく色合いがよろしくないなあと思った。いっそ花をいくつか減らそうかとためらったのだけど、あるものでなんとか最善の形にしようとがんばってみた。祖母が好きだったリンドウ。あの青さはなんだかよかった。しみじみと、澄んでいて。百合をさせば祖父といっしょになって育てていたテッポウユリを思い出す。パチパチと茎や葉を落とし、背を揃え、花が花瓶に揃っていく。最後に黄色いかすみ草のような花をふちに散らして、すこしでも綺麗になればいいと祈った。思えば、あのときがわたしにとっていちばんの、弔いの時間だったのではないだろうか。

冠婚葬祭でしか再会しない距離になってしまった親戚とも、ひさしぶりに会った。「今はどこに住んでるの?」「長野には帰らないの?」「就職してるの?」「いいひとはいるの?」そういう質問のぜんぶに特に意味がないということを、あきらめをふくまなくても笑顔で受け止めることができるようになった。みんな話をするために話をしているだけなのだ。お酌をしてまわって、なんだか大人みたいだと思ったけど、そういえばとっくに大人だった。

きっと、大丈夫だと思う。まだしばらくは、ぽっかりと空いた隙間に詩や音楽を流しこんで、自分をごまかす日々がつづくだろうけど。すこしの嘘を自分に許して、そうやって暮らしていける程度の薄情さを持ち合わせているから。さみしさを気のせいということにして押しこめておくから、ふとした拍子に思い出させて、わたしをもうすこしだけ困らせてほしい。

ガードポール

朝がまぶしい。秋のひかりだと思うのに目が痛くて。かなわない。本来の出勤時間より早めに行って、ドトールでコーヒーでも飲もうと思ってたんだけど、駅についたときに鞄を見たら、財布が入ってなかった。焦った。Suicaの残高は200円。帰ることすらできないんですけど? 先輩に500円借りて帰ってきた。わたしは財布をなんだと思ってるんだ。

帰り道、くたくたに疲れて、最寄り駅でグレープフルーツジュースを買った。それを飲むためにベンチをさがしたけど、煙草を吸っているひとでいっぱいだったので、ガードポールにもたれかかって飲んだ。ふいに、わたしは煙草じゃなくってジュースを選んだ側の人間なんだと思った。でも好きだよ。煙草を吸う人。みんな、なんか目が暗くってさあ。

お店は全席喫煙だから、自分の服から、吸ったこともない煙草のにおいがする。よくわたしが煙草を吸ってたらショックだなあ、って言われるけど、仕事帰りに知り合いにあったら、ショック、与えちゃえるかもな。ショック、与えたいね。この前森美術館で見た隕石の黒さのことを考える。あんなに可愛いショックなら、わたしだってぶつかってみたい。だって予想外のことなんて、そうそう起こりもしないから。

それにしても、煙草ってどんな味がするんだろう。咳がやっと止まったばかりだから、吸ってみたいとは思わないけど、煙草のけむりは冬がおいしい、って教えてもらったときに、なんかいいな、って思ったんだよね。だからなんだってわけじゃないんだけど。

友人

あなたが 「もう疲れたよ」と言うかわりに
一つきり 砂のような溜め息をついたので
わたしは今夜 やむにやまれず
西と東の窓を開け
部屋が水色に変わるのを
見ているのかもしれません

捨てるものと捨てられないものとで構成された
この部屋の
むこうでゆれる金木犀と
その背後でこぼれた壁を
夜通し走っていたトラックがふるわせる
尖った音さえ ひとごとのように 聞いていた虫が
さっきまでただよっていたコンビニの
はるか
奥までつづくコンクリートの道が途切れた
丘の先
わたしにとっての地平線を
超えてしまった街に住むあなたよ
あなたのかなしみを知っています
そのまぶたに落ちる光のつめたさ
湯気たつ白米のきらめき
袖をとおす衣服がかたく
一度 咳をせずにはいられないこと
それが今このとき ホコリのようにして
わたしの睫毛のうえにも降りかかるのです
振るえるようなわずかな重み
そこをめがけてくるように
いつも朝日が射すのです

遠くばかり見ていた

窓辺に咲いたキンモクセイが綺麗で、洗濯物を干そうとするたび手がとまる。それにしても、東京にはこの花がとてもたくさん、咲いているね。長野にいたころには気づかなかった。山と田んぼばかり見ていた。この花の名前を知ったのは中学生のころの、音楽の時間だったっけ。形よりも先に匂いを知り、色より先に名前を知った。だからだろうか。キンモクセイと聞くと、オレンジの星型よりも先に、明るい音楽室の床が、目の前に。

資格をとるために毎日大学に通っていた時期がすぎて、頭がぼうっとしている。復帰した喫茶店ではろくに仕事ができない。もともとできなかったけど。相変わらず、先輩達には怒られてばっかりなんだけど、酔っぱらいのお客さんが突然やさしい目をして、「今日はあなたに会えて最高の夜です」とか言うので、くじけずつづけられている。わたしも「そうですか。またお会いしましょう」と返す。ほんの言葉遊びだ。でも、風情があるでしょう。

みんなさみしいのだ。

大事なひとをうしないかけて心がだめになりそうになっていた。でも、やさしいひとがまわりにいすぎて、しばらくそんな真似もできないな。祖母が危ないことを店長に教えたら、ひどく心配して、コーヒーを二杯もいれてくれたし、お菓子もいっぱい出してくれた。しつこい風邪をひいてマスクをしていたら、学生が心配してくれた。友人はわたしにゲロ甘だし、弟も逐一わたしに近況を報告してくる。たいせつにしていた自分のきれいな部分を全部とり落として、それでも今日、会いに行きたいひとがいる。どうしてだろうか。

枝がぼさぼさの松

デパートの屋上でパンにかじりつきながら、小・中学生のときの読書体験について語らった。最高の日曜日ではないでしょうか。ひさしぶりに空とか雲とかを見た気がする。屋上には子連れが多かった。なんかコインを入れるとうごくアンパンマンの乗り物とか、枝がぼさぼさの松とかあって、いいかんじだったな。あまり本について話さないので人と本について話すたびに新鮮に「やったね!」というきもちになる。でも長いつきあいの友人が実はけっこう本を読む人だった、ということが最近よくあり、その都度なんだあ言えばよかったと思いもする。趣味について話すという習慣が自分からは抜け落ちているのかもしれない。なんでだろう。

小学生のときは学校でも家でもずっと本を読んでいて、いちばん読書に一途に恋してた時期だったなと思う。今はもう何を読んでも毎日の通勤みたいになっちゃったから、あの頃みたいに熱中している感じを味わえることってほとんどなくって、本は好きですかと聞かれても「たぶん」としか言えないんだ。けど、好きなんですよね。もうよくわかんないけど。たぶん。めちゃくちゃ。

くま

いつ 会ってもわたしのことを「最高」って言ってくれる、母方の祖父が入院してしまったらしい。手術が終わり次第、退院するとのことだけど。こうも立て続けだとしんどいな。ひょうきんなじいさまなんだよ。わたしのことめちゃくちゃ好きなんだなってことはわかるんだけど、わたしの話はぜんぜん聞いてないの。先日、実家の祖母の具合がいよいよ悪いから、喪服の用意をしろと言われた。しなかったけど。だって、そんなことってあるかよ。葬式の備えなんかなくっていい。そう思わない?

荒んでいたけど、誕生日にもらったプレゼントのくまを撫でていたらすこしげんきがでた。今年はなぜか、別々の人から、くまの皿とくまの置物をもらった。なんでだろう。わたし、くまみたい?