ためらうような夜がかなしい

祖母の葬儀のために長野に帰省した。急いで職場に連絡をして、休ませてもらった。ふしぎと心は落ちついていた。実は、通夜で父や弟が声をあげて泣くのをはじめて見るようなきもちで見ていた、わたしは何が起きたのかすら、まだよくわかっていないのかもしれなかった。通夜や告別式がこれでよかったのか、そういうことを逐一かんがえながらお線香をあげていて、ためらうように微笑んでいて、こんなんじゃあまり弔っているとは言えないと思った。祖母の寝顔やからだにかかる白いふとんのうつくしさになぐさめられる。儀式におしこめられるとき、いつもこころが風景に追いつかない。

呼びつけられたわりには、父からたいした仕事をもらわなくて、準備のときの唯一の大任は、花をいけることだった。買ったものや、もらったものを花瓶にいけてほしいと頼まれて、昼間の庭で3つの花束と対峙した。日差しのつよい、すばらしい晴れ間だった。実家にいてあんなにしずかになれたのは、あのとき一瞬だった。束ねられた花をひろげて、ひと目、とにかく色合いがよろしくないなあと思った。いっそ花をいくつか減らそうかとためらったのだけど、あるものでなんとか最善の形にしようとがんばってみた。祖母が好きだったリンドウ。あの青さはなんだかよかった。しみじみと、澄んでいて。百合をさせば祖父といっしょになって育てていたテッポウユリを思い出す。パチパチと茎や葉を落とし、背を揃え、花が花瓶に揃っていく。最後に黄色いかすみ草のような花をふちに散らして、すこしでも綺麗になればいいと祈った。思えば、あのときがわたしにとっていちばんの、弔いの時間だったのではないだろうか。

冠婚葬祭でしか再会しない距離になってしまった親戚とも、ひさしぶりに会った。「今はどこに住んでるの?」「長野には帰らないの?」「就職してるの?」「いいひとはいるの?」そういう質問のぜんぶに特に意味がないということを、あきらめをふくまなくても笑顔で受け止めることができるようになった。みんな話をするために話をしているだけなのだ。お酌をしてまわって、なんだか大人みたいだと思ったけど、そういえばとっくに大人だった。

きっと、大丈夫だと思う。まだしばらくは、ぽっかりと空いた隙間に詩や音楽を流しこんで、自分をごまかす日々がつづくだろうけど。すこしの嘘を自分に許して、そうやって暮らしていける程度の薄情さを持ち合わせているから。さみしさを気のせいということにして押しこめておくから、ふとした拍子に思い出させて、わたしをもうすこしだけ困らせてほしい。