ねころんで夜

暑い、どこにも行きたくないと思いながら、寝転び、磨りガラスにうつる光のかけらを見ているときの、うっすらとした意識のここちよさ。10センチだけ開けた窓の隙間から、すずしい風が頬に降りてくる。空気はそこで止まっている。この部屋が嫌いである。生活がとことん下手なわたしの部屋で、唯一きれいなのは外の光だと言えよう。外に出て風にでも当たった方がいい。写真展でも見に行けばいいじゃないか。そう思うが、どうでもいい。もう心底、なにもかもどうでもいい。このどうでもいい気持ちを、抱えた体に光をあて、自然と立ちあがりたい気分になるまでは、そっと寝かせておきたいだけだ。

なんかだるいな、と思ってだらしないことをいくつかした。大事なのは、睡眠時間の固定と安定した食事をとることだ。そういう、ローでフラットな健康状態の継続こそが、幸福に違いない。ただ、0時に寝ることが、この上もなく苦痛な日というのもある。我慢は嫌いである。明日、面接があるなあ。はあと息をついて、体を起こし水を飲むと、頭がすーっと透明になった。競争も嫌いだ。ただ、幸福のために工夫することは好きなのだ。