約束する
私的な話をしてもいい人たちと久しぶりに会い、たましいの焦点のあわせかたみたいなのがよくわかんなくなってしまった。仕事をしていると自分のことを考えずに済むから、それはからだにとって、とてもいいことだと思うんだけど、おざなりにしすぎていると、どうもこういうことが起こるらしい。
間をもたせるために働いているようなところがあるのだろう。どんな風に自分のことを話せばいいのか、いつもよくわからない。とにかく、げんきでやっている。もちろん、ずっとこのままでいいかと言うとそれは違うけど。
もう少し待っていてほしい。きっと間に合うから。
ぜんぶ忘れてしまう気がする
手ぶくろをどこかに落とした。くたくたの、安物の、なんてことない手ぶくろだけど、母が買ってくれたものだった。なんだかさみしいなと思った。試しに片っぽだけはめてみる。それがほんとうなのに、裸の手はかっこわるい。そういえばこの前、風邪を引いてマスクで通勤していたんだけど、うっかりくちべにを忘れて行ってしまって、職場のかがみで自分の顔を見たら、くちびるが赤くなくて恥ずかしかった。口なんか、もともとあんなに赤いものか。それがほんものなのに、ばかばかしいなあ。
クリスマスが終わってからおみくじを引くまでの、年越しの空気が好きだから、今はとてもうれしい。職場でひっきりなしに鳴っていたクリスマスのオルゴールも止まっているし、花屋の店先も赤い実がたくさん並んでいてきれい。めでたい!って感じだ。早く仕事納めにならないかなあ。接客業だから、きっと年末年始におやすみなんてもらえないだろうと思っていたのだけど、先輩が気づかって4連休をくれた。先輩は今日で仕事納めだったから、帰り際に「よいお年を」と言ったら、この前りんごをあげたお礼にとお菓子をくれた。手紙がついていて、わたしが喜ぶようなことが書いてあった。今の仕事先の先輩が褒めてくれるときはいつもメモとか、手書きの文字で、それがなんだかほんとうっぽくてうれしいんだ。
今年はなんだか、いろんなことがいっぱいあって、まさに「起死回生」って感じだったな。いっぱい死んだし、いっぱい生きた。わたしはいつも、最悪なのはなにもないことだって思っているから、これはきっと最高ってことだ。今年の日記はこれで最後になるかもしれない。来年も気が向いたときに書けたらいいな。みなさん、どうぞよいお年を。
とっくに新年
しゃらくさい
感傷的なオルゴールの音
12月なんて今日で終わりにして
1月だけ40日に引き延ばして
とっくに新年
みたいに生きてもいいような
気がするこんな白い真昼に
誰かのためにいい買い物をして
可愛い女の人の指で
きん色のリボンをかけてもらうのは
なんだかいいきもちがするし
言いたいことなんて何もないけど
あなたとだったら行ける街があるということに
うっかり救われてしまうなんて
1900円で買った
セーターのほころびを引っぱり
誰かを責めることにはもう うんざりなので
たまにはどうでもいいことを祝いたいだけかな
わがままがほんのすこし
僕たちにだけ許されるとしたら
月光などに感動しない
強いこころがほしかったよね
ひと晩中いっしょに起きていてもいいよ
あなたが生まれたとき
太陽はどこにありましたか
知っていることで便利になれる
ことを僕たちはあまりにもたくさん知ってしまいましたから
たまには意味のない質問が必要です
誕生日にロウソクを立てなくなった頃と
自分の年齢がわからなくなった頃は
同期しているんじゃないかと思う
夜
あの星
あれが冬の大三角だと教えてくれたとき
理科の授業で習いましたか
それともインターネットで調べましたかと
聞いてしまいたかったことを思い出す
野暮なことをしたい
甘えを流されたい
夜だから
コンビニに行きましょう
新しく発売された
ホットミルクを買いましょう
これ以上勝手に
夜を広くしてしまわないように
線になる夜
夜景って 星のことだと思ってた
街の光をきれいだと思ったことなんて なかったから
違いのわからない いくつものまぶしい点を
写真に撮ろうとしているきみのこと
何ひとつわからなかったけど
ふたつの人影が黒いガラスにうつっているのは
そんなにわるくなかったよ
果たされないことがあまりにも多いから
僕たち 約束をするのかもしれないね
現在はどこまでも限られない丘のよう
こんな広すぎる大きな夜に
いったい何を喋ればいいのかわからない
それでも僕たちは
がたついた一本の線のように
遠くから見ればほとんど何も変わらないのだろう
わかってしまわないように
大学時代、卒業制作のときに苔を育てている友人がいて、よくわからないけどいいなと思っていた。そのことについて最近になってふれたら、本人も「なんであんなことしてたんだろう? ほんとうに意味がわからない……」と言っていて、やっぱり意味はわからないのか、と思った。よくわからないからできるということもあるのだろう。わかってしまったらやる意味がないようなことも、あるではないか、わたしたちの生活には。
たとえば目がさめて、すべてがわかる朝がくることもあるだろう。出窓からさしこむ透明な朝のかおり。散らかった枕元の本たちが、あらかじめそのつもりだったと言わんばかりの、静かな佇まいでそこに積み重なる。昨夜まであんなに居心地悪そうにしていたくせに! 呼吸はかつてないほど整っていて、胸が湧くのに興奮していない。肩も背も、羽がはえたように軽い。そんなときにふれているものが、希望なのか絶望なのかわからない。わからないままもう一度眠ってしまえば、次におとずれるのは不完全な朝だから、わたしはまた、わからないまま一日をもう一度始めることができる。わかってしまったら、そこでこのお話はおしまいなんだ。