ばらす

文字を組んで印刷して製本した文章を、もう一度noteに貼るために分解する作業をしてるんだけど、これはほとんど、本を1ページずつビリビリ破いて皺を伸ばして並べる みたいなものだね。自分でやってて、あたし何してんだろ、って感じだ。まあいいんだけど。ちょっと前の文章を読むと恥ずかしいなと思うこともあるんだけど、「言ってることがわかるなー」のほうが強い。ぜんぜん、開かれてない証拠なんだろう。自分の言葉なんてものがあると、ほんとうに信じてるうちは。

末の弟が帰ってきていて、昼を食べたあとに居間でradicoをつけてぼーっとしていたら、横で寝ていた。起きあがるときに「幸せって、こういうことを言うんだね!」って言いながら伸びしてて(普段は昼寝なんかしないんだろう)、相変わらず明るさに味わいがあった。かいけつゾロリくらいしか活字の本を読んでるところを見なかった というような人なんだけど、最近は読むようにしているらしい。伊坂幸太郎の何か長いカタカナのタイトルの本を持っていた。この前は有川浩阪急電車を持っていて、「映画なら見たことある(あまり良くなかった)」と言ったら「だめだよ、ちゃんと本を読まなきゃ!」と言われた。漫画のCMみたいなこと言ってる、と思いながら「そうだねー」と言ってみた。なんでだよ。

わざわざ口にして

バイトの面接をした。FaceTimeで。むかし神保町の喫茶店でバイトしてて、それを職務経歴に書いたんだけど、社長もその近くの喫茶店で働いていたとかで、3秒くらいで意気投合して「ここで働くのに本当に相応しい人材だよ」みたいなこと言われてその場で採用になった。バイトしてたときも思ったけど、神保町の喫茶店は謎の連帯感があり素晴らしい。そのあと、一応採用通知もきた。久々の【試験】だったから、臨戦態勢を整えて通話ボタンを押したんだけど、こんなこともあるのか。なんにも試されるようなことはなかったけど、それでもどっと疲れた。明日、ちゃんと起きれるだろうか。

FaceTimeは初めて使ったけど、ビデオ通話は何回かしたことがある。どれもあんまり、いい思い出じゃないけど。相手の顔が見えるのに、そして相手に顔を見られているのに、目が合わないのが嫌だ。それだったら音声だけの電話のほうがずっといい。ちゃんと会話している感じがする。そもそも、ビデオ通話で話す人っていうのは、私の話なんかあんまり聞いてなかったから、そのせいもあるのかもしれないが。あーーーー。やめよう。なんだか気持ち悪くなってきた。

バイトに受かってしまったから、世界で一番使われていない自動車免許を活用しないといけない。本当に大丈夫だろうか。バイトより、通勤のほうがヒヤヒヤする。そんなことを思いながら夕方になって、散歩に出たら、山際からうすい虹が一本のびていた。そういえば以前、百貨店の仕事の面接に行った帰りにも、こんな虹を見た気がすると思った。期待よりも不安のほうを大事になぞってしまう自分だから、「いいことありそうだ」とわざわざ口にして写真を撮った。ひまわりの上に置くには曇りがちな空、それは不完全だけど今日という日に相応しいと思った。

そのまま

3年前に司書講習に通っていた。初日、ぱっと会場を見渡して、いちばん仲良くなりたい子の隣りに座ったら、同じ大学の卒業生だった。ファスナーのマークが胸元にプリントされたネイビーのTシャツに、グレーのロングスカートを合わせて履いていて、それは姿勢のいい彼女によく似合っていた。その頃はまだ短歌は読むだけでいいや、と思ってた時期だろうか。いや、本にはまとめて、売ったりしてたけど、たしか投稿とかはしてなかった頃で、でも読んでる人が増えたら楽しいだろうとは思っていたから、その講習で知り合った人に、思いついたら貸していた。特に彼女は、私のギャグにはあんまり笑ってくれないけど、短歌では笑ってくれるから嬉しかった。たぶん今、探してるけど見あたらない本は、その子に貸したきりだ。もう買っちゃおうかなあ。なんとなく、もう会わない気がする。そして、それでいい気もする。だらんと畳に横になって背伸びをすると、なんだかあの頃のことが、背筋を通り抜けていくようだ。帰り道に、ソフトクリームを食べながら帰るのにつきあってくれたり、休み時間にiPod touchで高校生ラップ選手権を見ていたらウケてくれたことが、嬉しかった。

8月の思い出はいつも明るい。夏は好きなことばかりしているから。世間には、もっと頑張っている人がいるだろうな。でも頑張ってるから、だからなんなんだろう。とかなんとか言ってるうちに、そのうち27になる。もうちょっと偉そうな大人になるつもりだった。予定では。でも悪くないな。思い通りにならないのも、本を貸したままにすることも。

移るし動く

朝食にクロワッサンを食べてそうだなぁと思うよ と言ったら、微笑みながら「朝食はオロナミンCだよ」って返されたの、よかったな。この前会った友人と、吉祥寺の街を歩いてたときに、何かの拍子に言われた。なんなんだろう、この絶妙な会話センス。ヤクルトでもチョコラBBでもなく、オロナミンC。いいなあ、と思う。

東京で遊んだり、おいしいもの食べたり、友人に会ったりして、とても楽しかったんだけど、到着2日目くらいの夜にクーラーをつけっぱなしにしたまま寝てしまったせいで、まだ治らない、しつこい風邪を引いてる。心はかなり元気になったんだけど、咳が止まらないのだ。やっぱりあちらを立たせばこちらが立たずって感じだね。でも何も無いよりは揺れてたほうがいいかな。そう思いこんでおくことにする。ギャラリーは、元気じゃなくて行けなかった。

東京で会った人たちは、静岡から来てくれていたり、前日まで軽井沢にいて、その日の夜から大阪に行くとか言ってたり、そういえばあまり東京にいない人たちだった。東京は私にたくさんの友人をくれたけど、その人たちはみんな本当にてらいなく、いろんなところに飛び出していく。9月の頭には私も東京の家を一度引き払う予定なのだけど、あまりお別れという気がしないのはそのせいかもしれない。つくづく、物理的な距離はあまり重要じゃない と思う。

大阪に行くという子は、外国の建築家がつくった霊園を見に行くのだと言っていた。イメージよりずっと明るい雰囲気の霊園で、たしかに良さそうだった。ほかにも、いろんな建物の話をしてくれた。軽井沢にあるという綺麗な石の教会の写真も見せてくれて、一日のうちにおすすめの教会とおすすめの霊園の話をしてくれる人なんて、きっとこの人くらいだろうなあと楽しくなってしまった。私は建築には詳しくないから、本当に話を聞かせてもらうくらいしかできないのだけど、何故か私は、彼女達が熱心に好きなことの話をしてくれたあとは、この世界のことがすこし面白いもののように見えてくるのだ。そういう人にはできるだけのびのびと、好きなように生きていてほしい。だから、元気そうでよかった。そう思った。

ああ。一方私は、ほんとうに咳がとまらない。咳をしても一人。なんて、ほんとうに咳をしてるときには思いつかないから、やっぱり尾崎放哉ってやるな。

夜の暗さにはもう飽きた

東京の部屋にいる。なにもすることがない。というよりは、なにもしたくない。はあ。でもスーパーまで歩いて行けるのと、人に会う約束があるのがうれしい。元気があれば行きたいギャラリーもすこしある。ちなみに、長野の実家からスーパーまで、歩いて行くと30分はかかる。文明はない。

実家のお風呂場が工事中で、一週間も温泉に通うのが嫌だったから、東京に避難してきた。眠るときと、体を洗うときくらいはひとりでいたい。家事をできるか不安だが。

きっと平気だ。この部屋は窓が多くて、(だから選んだんだけど、)その1つの出窓にぶつかる雨の音なんか一際うるさくて、音楽をかけなくても退屈しない。今年は梅雨が長いね。昨年はあんなに暑かったのに。そんなことを、寝つけないでふとんの上を転がっている時に思った。誰といてもどこにいても寝つきの悪さは治らない。

スーパーに行った帰り道、小さな子どもが私を走って追い抜いていって、たまに持ってる傘(ささずに振り回していた)につまずいて泣いていた。鮮やかな虹色の傘だった。

 

(2019.07.16)

 

姿

昨日、母が夕方に出かけていくときに「誰に会うの?」と聞いたら、「年に一度、七夕の時期に会うことにしているママ友」と答えられ、友情にしてはロマンチック過多だった。七夕なんて忘れていたな。一方私は夕飯の支度を頼まれ、トマトのスープをつくったはいいものの、父に「何これ?汁物?」と予想外に定義の部分を聞かれ、若干落ちこむなどしていた。水気が少なかったかもしれない。

バラエティのやりとりに声をあげて笑えるようになっている。「そろそろ大丈夫」と何回も口にして、その度に自分に裏切られているから、もうそういうの、いいかな。ここからがダメでここからが大丈夫なんていうわかりやすい境界線が見えていれば、そもそも人は限界を見誤らない。せめて、何かを信じることが自分を裏切ることにならないようにしようと思って、そうやって毎日を暮らしているけど、すぐにわからなくなる。迷う。出かける前にふと鏡の前に立ち、前髪を直すとき、右目と左目と目が合う。クマがあるな、とか、自分の顔のスペーシングってこういう感じだったっけ、と首をかしげる。そういった具合で、間を置いて、客観的に自分を見たときですら、それは鏡越しの姿に過ぎないということを、普段は忘れている。他人が見るように自分を見ることはできない ということは、いつまで経っても不思議なことだ。

からいピーマン

食卓にピーマンがあると警戒する。母がよく、ピーマンと獅子唐を取り違えて出してくるからだ。それもその日に畑で収穫したばかり、とれたての獅子唐をである。母いわく、間違いなく「ピーマンの種がほしい」と店の人に伝え、買ったものだという。そうしてピーマンとして育てられ、今年も収穫の季節を迎えた、そのやけに細くて小さいピーマンは、やけに辛い。ピーマンの代表料理であるところの「ピーマンの肉詰め」を獅子唐で繰り出されたときはかなり苦しんだ。でも母は「これはピーマン」と言いはるのである。絶対にピーマンじゃない。

こんなに文句を書いておいてなんだけど、私がピーマンを食べれるようになったのはここ数年なので、最初、青椒肉絲(チンジャオロース)風に調理されて出てきたときは(スパイスが効いてるな)くらいにしか思わず、父と弟がニヤニヤとこっちを見ているのに気づくまで、それがピーマンでないという可能性に思い至らなかった。発覚したのは1年前。今日は偽焼きピーマンが出て来た。いつまで続くんだろう。もうこっそりピーマンの苗買って来て、植え変えちゃおうかな。それで、来年の食卓で「今年はピーマン辛くないね!」ってしれっと言い放つのはけっこう楽しそうだ。まあでも、いつまでここにいるかわからないから。

いろんなことを先延ばしにしている。何もせず、何も語らずに黙っていられる時間を与えてもらえて、すごく助かっている。東京の家だと子どもたちの叫び声で目がさめるけど、ここは昼間は鳥の声、夜には蛙の鳴き声がする。人以外の生き物の存在に癒されるだなんて、考えたことはなかった。ここは悪いところじゃない。それでも、そのうちひとりでいることに飽きるだろうか。