ゆるいしあわせ

なにか口にいれたいけど、ちょうどいいものが何も無い。グミとか、小さいカップラーメンとか、何か買っておけばよかった。いつも、そのときのきもちにぴったりする量しか買わないから、すこし足りなくなってしまう。

社長にたてついた結果、報復のようなクビがほぼほぼ確定した。ひとりの日、ぼーっとお店に立っていたら、友人がひょっこり顔を出してくれた。更には、「なんか大変そうだから」みたいなことを言って、あんず味のお菓子を1個くれた。この人のこういうところ、本当にかっこいいなと思った。かっこいいというのは、それだけでひとつの価値だよね。

だって、かっこよく生きたいではないですか。未来のことを投げやりにしまっておけるほど、もう子どもじゃないし、ぜんぶ許して達観してしまえるほど古びてもいない。わかっているのは、あのままへらへら笑って、頭をさげて、ゆるいしあわせがだらっと続いてしまったら、もう本当に手遅れだったんだということ。ただそれだけだった。

コールドスリープ

注いだばかりのオレンジジュースがぬるかったので、冷蔵庫が壊れていることに気づいた。いつから壊れていたんだろう。そういえば、このところよく唸っていたような気がする。冷凍庫はまだ動くから、冷凍食品だけで暮らそうかな、もう。あーでも、冷凍食品ってきらいなんだった。困ったな。点灯管、ちゃんと買ったのに。今度は冷蔵庫かぁ。今度っていうか、また冷蔵庫かぁ。

生活に興味がもてなくて参ってしまう。たとえば食事。人といる時はおいしいものが食べたいし、お店をさがす努力くらいはするけど、ひとりならトーストでいい。上質な暮らし というものに憧れはあるけど、いざ生活しようと考えると足りないものが多すぎてくらくらする。無理無理。上質、無理。

今のところ死ぬつもりがない というだけで四半世紀も生きてきてしまったので、「この先どうするの?」と聞かれると困ってしまう。最低限 が低すぎる。とりあえず、明日は生きるし、3年以内にやりたいことはいくつかあって、でもそれが何かを言っても、信じてはもらえないだろうな。わかっちゃいるけど、その事実を目撃してしまったら、私はあなた達のことをきっと今よりすこし好きじゃなくなってしまうから、ほんとうに言いたいことは胸に秘めておくんだ。でもそれって、ほとんど誤解させているようなものだろうか。いやいや、ひとつも隠しごとのない関係なんて、それはそれで退屈なものに違いないよ。

そう、思っておく。大事なことはあとにとっておく。待たせている。いろいろな約束が、すぐにも結論を出せてしまえそうな、簡単な なぞなぞを、かろうじて寝かせておいてくれる。

あなただけが地獄の入り口

年上女性の笑い皺が好きなんだけど、原田知世以外にも宮沢りえとか、いいよねー。皺のつきかたまでおしゃれで、憧れる。でもそういう人って少数派かな。私はきっと、最強のおばあちゃんになれると思うけどな。「若くてかわいい」そう言われるたびに、いつか「おばさん」のひと言で拒絶されることもあるんだろうなと心配してしまう。言っても、もう25だし、若いって言われるほど若くないはずだ。そんなことを思って、職場の休憩室で白湯を飲んでいたら、「僕が出会った時に、あなたが15才でも35才でも45才でも、きっと好きになったよ」と、言われたことを思い出した。今にしてみれば熱烈な愛の告白だ。そのときには既に愛とか終わっていて、私の耳も手遅れだったから、よく聞こえなかった。でもこういう、その場限りの熱のこもった言葉に、人生のいろんな場面でふいに、体重を軽くしてもらえることがある。不思議なことに、それがたまたま今日だった。なんてこと、してくれたんだ。ねえ聞きたいんだけど、いいかげん私を好きでいるのは、やめてくれましたか?

過去につきあった人、というか、好きになった人のことを悪く言いたくないのだけど、こうして書こうとすると悪口ばかりだから、結局、恋のことを何一つとして書けない。会いたくなくて、思い出したくもない。世界から消えてくれないのなら、せめて私の人生からはいなくなってほしい。そう思っているのだけど、そう思っているうちに、あなた達は私の一部になってしまった。忘れていたけれど、あなたが私のものとか、私はあなたのものとか、そんな話をする前に、私達は世界のものだったのだ。

もうすこし、思い出とのいい付き合い方がわかったら、私はまた強くなれるだろうか。いったいどれくらい強くなれば、もう強くならなくていいと言ってくれる。どれだけの人と出会えば、もう誰とも会わなくてもよくなる。いったい誰と恋に落ちれば、二度と地獄に落ちなくて済む。答えがわかるまで、歳をとりつづける。

チーズと牛乳とたまご

部屋の蛍光灯が点滅している。おかしいな、ちょっと前に交換したのに……。調べたら、点灯管というものを付け替えれば直るらしい。めんどくさいな。もう1こ間接照明あるし、これでいいかな。ほの暗いオレンジの灯りで、逆にいい暮らし感が出るし。あっ。前にもこんなこと考えたな。つくづく生活がへた。昨年の梅雨まで住んでいた部屋で、灯りの電球が切れたときは、「これも何かの実験・貴重な経験」と言い訳して、3ヶ月くらい暗闇のなかで生活していた。そのときは親にすごく怒られたので、また、終電を逃したひとを泊めたときにひどく申し訳なく思ったので、やっぱり灯りはついたほうがいいとわかった。私も、いま夜に本が読めないのは困るので、買おうと思うけど。でも、あれはあれでよかったな。夜がくらいと、朝のひかりがとても綺麗に見えるんだ。

まあ、頭がおかしいと思われるから、おすすめはしない。最近もらったばかりの可愛い冷蔵庫にはやっぱりチーズと牛乳とたまごしか入ってないけど、それ以前よりは、ちゃんと朝食をとるようになった。

また、人の傘に入って帰ってきてしまった。見慣れないピンク色の折り畳み傘が、台所にあって、そこだけちょっと明るいような気がする。私は傘をよく忘れる。この前も雨の予報の日に、「あー、傘、ないんですよね」職場で先輩にそう言うと、「貸そうか?」と聞かれ、置き傘にしているという、その小さな傘をロッカーから持ってきてくれた。

雨の日に、ちゃんと傘があることって少ない。長野に住んでいたころからそうだった。でも、田舎では、雨の日に傘をさしていなくてもそこまで目立たない。コンビニがそんなにないから、突然のスコールのときなんか誰も対応できないし、そもそも人が道を歩いていたりしない。だからと言うと、田舎の人に怒られそうだけど。でも雨に濡れるのも、いいものだよ。つめたい水に打たれることなんて、シャワーが故障しないかぎりそんなにないことだし。頭がすっとする。あと、雨があんまりひどいときには、バス停でたまたま居合わせた人が傘にいれてくれたり、目の前に車がとまって突然見知らぬ奥様がビニール傘をくれたり、雨宿りしてた車庫の持ち主のおじいさんが車で送ってくれたり……みなさま、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。

ムーンライ

なんだか消え入りたくなるようなやさしい夜風。イヤフォンが壊れているから、風の音だって聞こえる。何もいらないなんて言ったらもう嘘になってしまうんだけど、何もいらない、そう言いたい。街路樹の隙間によく光る電灯あるわって、思ったら月だから笑っちゃう。無音の帰り道はカントリーロードが歌いたくなるよ。口ずさんでも誰も何も聞かないで。もしも何かの間違いで、聞こえてしまっても、知らなかったことにしてほしい。

クリエーションは私に許された唯一の非行だったというのに、今や生活とほとんど一緒になってしまって、じゃがいもの皮をむいたりするのと同じようなきもちで、今日もテキストエディットを開いている。書くことはしずかな部屋のようだ。ここにくればいつもどこでもひとりになれる。それでいて、私の書くものを読む人の顔が、いつだってほとんど知人のものであるということは、私のたましいをきつく、肉体に結びつけているけれど。

私の先行きを私より不安がる人たちに、いつになったら、「もう何もかも大丈夫だよ」と言ってあげられるようになるんだろう。ごめんね、ありがとう。そのうち一緒にお茶でもしよう。誘うよ、私から。あなたはベトナムコーヒーって飲んだことあるのかな。すっごく苦くて、すっごく甘いんだよ。なんて、聞きたいのはそんなことじゃないだろうけど。

冷や水よりもあたたかい

先日、ドイツにいる友人からLINEがあった。「シャワーから冷水が出る」「つらい」とあり、私はへらへら笑っていた。いらすとやでドラム缶風呂の画像を探して送った。今朝、シャワーを浴びようとしたら、ガスが故障していて水をかぶった。笑うな、と思った。誰にともなく。

新緑の季節になって、蛇口の流行はすっかりお湯派から冷水派に変わり、家について手を洗う瞬間、冷水っていいなと思っていたのだけど、そんなことなかった。お湯だ。やさしいのは、お湯だ。慌てて浴室から出たら、ガス会社から着信があった。よくわからないけど、ボタンを押したら直った。よかったぁ……。断続的に出るお湯をありがたくかぶりながら、もうこんなにも街は緑にあふれ、夜風も体を痛めないのに、水はつめたくて、私のからだは温かいのだなということがわかり、ふしぎだった。