チーズと牛乳とたまご

部屋の蛍光灯が点滅している。おかしいな、ちょっと前に交換したのに……。調べたら、点灯管というものを付け替えれば直るらしい。めんどくさいな。もう1こ間接照明あるし、これでいいかな。ほの暗いオレンジの灯りで、逆にいい暮らし感が出るし。あっ。前にもこんなこと考えたな。つくづく生活がへた。昨年の梅雨まで住んでいた部屋で、灯りの電球が切れたときは、「これも何かの実験・貴重な経験」と言い訳して、3ヶ月くらい暗闇のなかで生活していた。そのときは親にすごく怒られたので、また、終電を逃したひとを泊めたときにひどく申し訳なく思ったので、やっぱり灯りはついたほうがいいとわかった。私も、いま夜に本が読めないのは困るので、買おうと思うけど。でも、あれはあれでよかったな。夜がくらいと、朝のひかりがとても綺麗に見えるんだ。

まあ、頭がおかしいと思われるから、おすすめはしない。最近もらったばかりの可愛い冷蔵庫にはやっぱりチーズと牛乳とたまごしか入ってないけど、それ以前よりは、ちゃんと朝食をとるようになった。

また、人の傘に入って帰ってきてしまった。見慣れないピンク色の折り畳み傘が、台所にあって、そこだけちょっと明るいような気がする。私は傘をよく忘れる。この前も雨の予報の日に、「あー、傘、ないんですよね」職場で先輩にそう言うと、「貸そうか?」と聞かれ、置き傘にしているという、その小さな傘をロッカーから持ってきてくれた。

雨の日に、ちゃんと傘があることって少ない。長野に住んでいたころからそうだった。でも、田舎では、雨の日に傘をさしていなくてもそこまで目立たない。コンビニがそんなにないから、突然のスコールのときなんか誰も対応できないし、そもそも人が道を歩いていたりしない。だからと言うと、田舎の人に怒られそうだけど。でも雨に濡れるのも、いいものだよ。つめたい水に打たれることなんて、シャワーが故障しないかぎりそんなにないことだし。頭がすっとする。あと、雨があんまりひどいときには、バス停でたまたま居合わせた人が傘にいれてくれたり、目の前に車がとまって突然見知らぬ奥様がビニール傘をくれたり、雨宿りしてた車庫の持ち主のおじいさんが車で送ってくれたり……みなさま、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。

ムーンライ

なんだか消え入りたくなるようなやさしい夜風。イヤフォンが壊れているから、風の音だって聞こえる。何もいらないなんて言ったらもう嘘になってしまうんだけど、何もいらない、そう言いたい。街路樹の隙間によく光る電灯あるわって、思ったら月だから笑っちゃう。無音の帰り道はカントリーロードが歌いたくなるよ。口ずさんでも誰も何も聞かないで。もしも何かの間違いで、聞こえてしまっても、知らなかったことにしてほしい。

クリエーションは私に許された唯一の非行だったというのに、今や生活とほとんど一緒になってしまって、じゃがいもの皮をむいたりするのと同じようなきもちで、今日もテキストエディットを開いている。書くことはしずかな部屋のようだ。ここにくればいつもどこでもひとりになれる。それでいて、私の書くものを読む人の顔が、いつだってほとんど知人のものであるということは、私のたましいをきつく、肉体に結びつけているけれど。

私の先行きを私より不安がる人たちに、いつになったら、「もう何もかも大丈夫だよ」と言ってあげられるようになるんだろう。ごめんね、ありがとう。そのうち一緒にお茶でもしよう。誘うよ、私から。あなたはベトナムコーヒーって飲んだことあるのかな。すっごく苦くて、すっごく甘いんだよ。なんて、聞きたいのはそんなことじゃないだろうけど。

冷や水よりもあたたかい

先日、ドイツにいる友人からLINEがあった。「シャワーから冷水が出る」「つらい」とあり、私はへらへら笑っていた。いらすとやでドラム缶風呂の画像を探して送った。今朝、シャワーを浴びようとしたら、ガスが故障していて水をかぶった。笑うな、と思った。誰にともなく。

新緑の季節になって、蛇口の流行はすっかりお湯派から冷水派に変わり、家について手を洗う瞬間、冷水っていいなと思っていたのだけど、そんなことなかった。お湯だ。やさしいのは、お湯だ。慌てて浴室から出たら、ガス会社から着信があった。よくわからないけど、ボタンを押したら直った。よかったぁ……。断続的に出るお湯をありがたくかぶりながら、もうこんなにも街は緑にあふれ、夜風も体を痛めないのに、水はつめたくて、私のからだは温かいのだなということがわかり、ふしぎだった。

白くてでかくてとてもかわいい

友人の友人から冷蔵庫をもらった。思っていた以上にでかくて、部屋に置いてもらってから、宅配のお兄さん達といっしょに笑ってしまった。「存在感ありますね!」と爽やかに言って去って行った。あ、どうしよ…。立ち尽くし、向きを変えたり本棚をロフトにあげたりと微調整をくり返してみた。うん。でかいな!

町中にピンクのふわふわがあふれ、どうも暖かい季節になってきたので、いいかげん冷蔵庫を買わないといけないと思っていたのだ。買おうと思っていたものの半額で、2倍のサイズの冷蔵庫を手に入れてしまった…。パーティでも開けそうなくらいのサイズだ、どうしよう。私が冷蔵庫を買ったらいれたかったものは、牛乳とたまごとアイスくらいなので、ちょっとびっくりしている。あ、でもね、デザインがとても可愛いんだぁ。明日はスーパーに買い物に行こう。

それにしても、冷蔵庫がない って言ったら大抵の人は言葉を失っていたから、やっぱり冷蔵庫って必要なんだな。あと、この部屋って狭いんだな、とひしひしと思ったら、なんかおかしくなってきてしまった。今は生きていくのに最低限の持ち物だけでいい。物も生活も思いも、たくさんありすぎると散らかしてしまうから。

やさしさの前例

どうも春らしい。くちのなかがさっぱりしたいと言っていたので、レモンの入ったパスタを食べた。おいしい。いけないな。食べたいものを我慢できない。おいしいな。つかれたな。おいしくてうれしいのに、泣けてきた。

この前、隣りのお店の社長と口論になり、閉店作業をしながら泣いていたら、違う用事でお店に立ち寄った社員さんに見られてしまった。当然向こうもびっくりしていたので、何か聞かれるかと思ったら、何も聞かずに翌朝、チョコレートと桜味のインスタントコーヒーをくれた。ので、朝からまた泣きそうになってしまった。顔を合わせるたびに、なにかお返しをしなくちゃと思うのだけど、こんなことは前例がなくて、どうしたらいいのかわからない。

それにしても、まさか人前で泣いてしまうとは思わなかった。基本的に、家につくまで泣くのを我慢できる方の人間だと思っていたんだけど。あ、でも大学ではよく泣いていたけど。ありゃ。うまくいかないな。もっと格好つけていたいのに、生活はみっともなくて、ままならなくて、それでいて、たまにやさしくされすぎる。

花の幽霊

昨年の春から写真を撮り始めた。ボタンを押せば撮れるインスタントカメラで。きっかけがどれだったのか明確にはわからないのだけど、バラ色の日々 というMVに使われている写真がたまに見たくなる。フィクションの優しさに支えられて過ごしてきたというのに、現実の強さに砕かれたくなるのはなんでだろうか。

現像した写真の一枚目は、昨年いろんな人からもらった、お別れの花束を活けたものだった。花瓶が足りなくて、ペットボトルの口を切って、4つくらい並べていたっけ。まだ何も予定が決まらない私の、西向きの部屋で、白い花が明るかったことを覚えている。大学の授業で露出とか絞りとか、いろいろ教えてもらったのに、未だに逆光という概念のことがよくわかっていなくて、撮った写真は青白く、花の色までは映していなかった。