月曜日のゴミ

ココアの空き缶を捨てるため 外に出る
夜はいつも わたしが思うよりあかるい
こんなことあまりにも当たり前すぎて
今さら口にしたくはないのだけれど
やはり星は多く見えるにこしたことはないし
どんなに冬だと言いふくめたところで
夜は寒すぎないほうがいいのかもしれない

来年の自分がなにをしているのか
わからない日々がもう3年あまり
つづいていて
それはもしかしたら
おかしいことなのかもしれないと
あなたに忠告されるたびに
案じる自分がここにいるのに
部屋にもどれば
誰もいないやさしさに
まぎれてしまう程度のことだとわかる

ゆるされなくてもいいよ
なにも悔やんでいないんだ

あなたがゆずれないと思っている
年齢とか収入といった
数字で説明できるような
だいたいのことはどうでもよくて
人身事故を休みなくうみ出しつづける
この国の社会の仕組みについては
ほとんど覚えていられない
どんなに速く歩いたところで
豊かさにも惨めさにも
いずれは慣れてしまうじゃないか

だからわたしはできるだけ
生活の耐えられない退屈さに気づかないように
あたたかいものや やわらかいものをつかって
自分の頭を混乱させることだけを考えているんだけど
こんなこと あなたは今さら気づかないほうがいいだろうから
わたしはとりあえず
年末に食べたいごちそうのことを考えて
メールを打つため 部屋に戻る

眠りはいつもきみにやさしい

風がくる
夕方4時半
何も急かされてなどいない
私のからだは
ただ深く
息をするためだけにあって

おいしい

好きだ 
行こう 
夜へと

地面がぐらぐらするような
疲れのなかでも
ふと立ちどまるのは
また忘れ物をしていないか
心配だからだけど
あわただしさにつぶされてしまう程度の
私たちのいたみやつらさは
6時間の眠りで薄まり色落ち
朝には捨ててしまうだろう

置いていくよ

さっき教室で喋った
きみも元気がなかったことが
私の今夜の気がかりだけど
そのありきたりな絶望は
夕飯のからあげ
かじって飲みこんでいるうちに
段々どうでもよくなるだろうから
今日のところはもう
がんばらないで眠ってほしい

大丈夫だよ

それでも胸が重いときには
私の言ったことの全てを
自分を肯定するために使えばいい

あたたかくして
深く
息をして
イメージして
夢を見ることが
うまくなるまでくり返して

 

きみにやさしい世界におやすみ

風にめざめる

現実にひきもどされる。電車のドアが開いた瞬間、ふゆのにおいがしたのだ、たしかに。四角いフレームの中にはコンクリートの壁しかない。けれどむこうに「冬」とラベルの貼られた季節がたたずみ、わたしにこれまでの何かを思い出させる。首と手の甲にあたって、くだける風が、やけに張りつめている。痛い。でも、打ちのめされることと感動することは、だいたい同じこと。だから寒いと、すこしうれしい。イヤフォンを外して、風のつよい帰り道を歩く。気づいたことがある。言葉が戻ってきている。ずっと待っていた。言葉がわたしに戻ってくることを。また待っていた。人に心配してもらいながら。何もできず。この夜の深まりを待ちわびた。おかえり。わたしはわたしの言葉たちに、軽く声をかける。喜びがある。めざまし時計よりも30分はやく目がさめてしまった朝のような、ささやかな絶望がある。

わたしのいるところは、いつも明るすぎてまぶしい。かくれていたいような、大声でさわぎたてたいような、矛盾したきもちで、いったいいつまで逃げるのだろう。どんなにかくれたとしても、またきみ達は、明るくわたしの名前を呼ぶのだろうし、わたしはなんてことのない顔で、作業のように返事をしたり、自分をかくせず慌てたりする。それでいい。もうすこしだけ、困ったり笑ったり助けたり助けられたり怒ったり怒られたりしていよう。ほんのすこしだけマシな人間になりたい。感謝してる。あてつけに近い、そのやさしさに。

生きる冬

「アンディモリ」とだけ携帯にメモしてあったので、気になってツタヤで借りた。ミュージシャンの名前だということは覚えていた。でも誰にすすめられてメモをしたのかは忘れてしまった。わたしにアンディモリを教えたのは誰。名乗りでてください。

帰りにブーツで走ったら頭ががんがんした。ゆれるせかい。なんだこれ。つかれてんのかな。どこもかしこも過労だね。もう忙しいのは飽きたわ。そうも言ってられねえわ。すこし速めに歩いてお茶ばかり飲む。それでもひとりになると、いろいろ、勉強しないとだめだ、がんばらないとだめだ、と思うのだけど、今日は封筒に宛名を書くので精一杯だった。現代詩文庫15冊読んだら体調をくずしたし。どうがんばったらいいのかわからない夜は腹にくるまり、ただでさえ遅いわたしの速度をさらに鈍らせる。今にも眠りにつきそうな日々。生きることが冬。これが地球のうえの話なら、いずれは春もくるだろう。そう思って眠る。ただそれだけ。

傘の不思議

小雨なので傘はささなくていいかと思った。しかし家を出てバス停につくころには本降りになっていた。ぼーっと木の下で待っていたら、見知らぬ婦人が「よければすこしはいってください」と、傘を半分貸してくれた。これで知らない女性に傘をさしてもらうのは2度目。貸してもらうのは4度目。天の助けなんだろうか。人に話すと「ふつう、人生でそんなこと起こらないよ」と言われてしまう。起こりまくってしまう。なぜだろう。バスを待つ10分間、とぎれとぎれに、ぽつぽつとどうでもいい話をした。このへんに住んでいるのかとか、なにをつくっているのかとか。たいした話をできなかったな。どうかあのひとに、明日いいことが起こりますように。

さらば(そういうことなら)

わたしなりの追悼で書き始めた俳句が、夕方やっとまとまった。きょうは祖母の四十九日だった。偶然きのう知ったのだけど。明日原稿用紙にまとめて封筒に入れよう。すこし楽になった今となっても、人が死ぬということはよくわからない。これについて話そうとすると、自分の体のおしまいに頭がひっぱられてしまって、陽気なことは何も思いつかなくなりそうだ。だから空とか花とかの話をして、わたしはできるだけきもちをぼんやりとさせておく努力をする。明日の朝は何を食べようか。

どこに行ってもゴシップだらけのような気がして、そしてそれをほったらかしておいたほうがいいような気がしていて、しばらく詩の話をしていない。別れの挨拶ばかり上手く綺麗になっていく。さよならだけが人生じゃないなら、これからは悪口よりも、きみの好きなひとの話を聞かせてほしい。

無口なおまえは、落ち葉を踏みに行けばいい

コーヒーを2杯も飲んでしまう前に出かけようか
雨のあとだから 道路には枯れ葉が散らばって
すがすがしくなる破壊のあとだ うつくしいよ
木々は眠りにつこうとしているのに
ブルーのあかりを灯してあらがう
おまえたちは今年も
人工的な色のセーターで
肌色をすこし隠したくらいで安心した
ことにして 
歩いて行くしかないんだね

どうぶつの言葉がわからなくなってしまった
あとの世界で
危険を教えてくれるものは何も無いから
せいぜい コートのポケットのなかに
今日もiPhoneと家の鍵があるかどうか
それくらいは確認しておいたほうがいいだろう
そういった作業に一切の感傷をはさまないことに
いいかげんうんざりしているとしても
そういう文句は世界にむけて言うべきであって
隣人にぶつけてもしかたがないということを
不必要なまでに理解するようになった
無口なおまえは落ち葉を踏みに行けばいい