かんたんじゃない

図書館でかりた那珂太郎の詩集をひらいたら、表3の部分に「新國誠一さまへ」という宛名とともにサインが入っている。おいおい。まじか。この驚きが伝わらないともったいないので説明すると、新國誠一というのは、コンクリートポエトリーという、文字の配置で詩を表現してみせるという、よくわからんことをこれまたかっこよくやってのけた、カリスマ・タイポグラファーのことです。これが意味することはひとつ。新國誠一が詩人からサインをもらった。そしてその本を図書館に寄贈した。那呵太郎さん、なんともクセのきつい文体なのだけど、新國さまが読んでらっしゃったのでしたらがんばって読みます、という敬虔なきもちになったり、ならなかったり。いや、やっぱり好きじゃないもんは好きじゃないかな。


明日カレー食べるのに今日カレー食べた。休みをもらって何をしているかと思えば、小説を読んだり詩集を読んだり漫画を読んだり。ずっと本を読んでいて肩がこる。キーマカレーを食べながら、ぼんやりと自分のしあわせについて考えてみたんだけど、やっぱり多少お金がなくても、初対面の他人に突然見下げられても、このまま今の喫茶店の仕事をつづけて、おいしいナポリタンやお茶を運びつづけていくのも悪くないって思うんだよな。どうして続けていてはいけないんだろうなあってそればかり。そりゃあまあ、もちろん経済面において必要だからなんだけど。それも深刻に、必要になってきたからなんだけど。やってられないよな。金の言いなりって。

ほんとうにほしいものが何かがもっと明らかになれば、話はもっとかんたんなんだ。どうしてかんたんになれないんだろうか。難儀だね人間は。

気休め

きのうは助手さんとインド映画のレイトショーを見に行った。「きっとうまくいく」っていう映画。以前後輩に借りてDVDで見たことがあった。物語にしてはやけに踊るけど、やっぱりすごくいい映画だったよ。あんな風に生きるのはきもちがいいと思う。きみも自分の人生を生きたいなら見るといいよ。余韻にやられて、終電の車内でぼうっと立っていたら、隣りの若者が顔中血だらけにしているので驚愕した。そういえば、東京にはハロウィンという風習があるのだったな。

今日は喫茶店の仕事だった。町がお祭りで、夕方はずっとせわしなかったが、大きなミスもなく、すこしはキッチンの手伝いのようなこともできるようになっている、わたしは先輩にはじめて褒めてもらえた。ちょっと傷ついたら労働のやりかたがわかるようになったのだ。祖母のこととか、進路のこととか、まあいろんなことを考えすぎて、それ以外をあまり考えられなくなったらしい。それがよかった。そもそも、わたしは普段からいろんなことを考えすぎなのだ。お盆を片手でもって皿を重ねろと言われると、左手の開きかたから乗せ方、重心の移動など、些細なことが一から十まで気になって、言語化して理解するまでうまくふるまえない。そういうことを、ショックをうけたらすべて忘れた。そしてからだで覚えるようになったのだ。こういう言い方をすると、むしろ雑になるように思えるが、かえって仕事の効率はあがっている。お客さんを前にして緊張することも前より減ったような気がする。先輩に褒めてもらえたし、お客さんも前より安心してわたしに注文をつけてくれる。

店員としてすごしているときは、詩文などまったく思い浮かばないけれど、人間の文明にふさわしい働き方をしていると思う。文字のことを忘れていられる唯一の時間と言えるかもしれない。清々しい。水泳のあとみたいだ。でも、なんでこうまでして、わたしたちはこうやって生きていたいんだろう、みたいな風には思ったりするんだな。これが、ホームで薄着のまま、乗り換えの電車を待ってるときなんかに。会いたい人の顔を思い浮かべたりして。会えなくなった人の顔がよぎったりして。また読み切っていない本を開く。すべて忘れてしまえないだろうかと思って。忘れたりなんかできないと知って。

どれでもよかった

実家から新米が届くのが待てなくてゆめぴりかを買った。おいしい。ふかふかだ。やっぱり生きるのに必要なのは白米。あとお湯と日光。これだけあればいいんだということを、わたしはこれから何度も何度も何度も綺麗に忘れるんだろうな。

白い封筒を一通郵便局に持っていったら、なんだか力つきてしまってこのごろ寝てばかりいる。それとも一気に冷えこんだせい? 部屋がさむくってどこにいたらいいのかわからない。毛布にくるまる。音楽じゃ物足りなくなってリモコンを手にとる。

テレビを見ることができなくなって随分たつ。たまにひとりが物足りなくてたわむれに電源をつけるんだけど、何がおかしくて笑ってるのか、何で夢中になって人の悪口を言ってるのか、わかんなくって疲れちゃうんだ。はい、ぶつん。詩の悪口は言えるんだけど、人間の悪口ってむずかしくって言えないよ。けっきょく、好きも嫌いも大体同じだ。関心があるってすばらしいことだと思うよ。できればとげとげしたものは見なかったことにして、やわらかい感情だけを交換していたいし、そのほうが趣味がいいと思うけどさ。でもみんな、会ったこともない人間に対しても、どっちかが選べるよね。好きか嫌いか。ねえ、なんでできるの?

わたしは自分が正常かどうかなんて、もうよくわかんないよ。むしろ、ある日とつぜん何が正しいのかわかるようになったら、ちょっと頭がおかしくなったんじゃないかと疑ったほうがいいんじゃない。でも正しさに手を伸ばしている人の切実さって、なんかいいよね。それはわかるよ。ただ、あんまり執着しないことだよ。他人にも、自分にもね。みんな、自分のやりかたで生きてるだけ。きみだって、思い出がなければ、きっとちがうやりかたで生きていけたよ。

気晴らし

美容院に行った帰りに、公園のベンチでメロンパンを食べていた。ぼーっと池をながめていたら、ふいに隣りに誰か座った。白いパーカーを着た男性だった。やけに香ばしい匂いがするなと思い横目に見たら、ピザを1枚食べている。箱ごと、ひざの上に広げて。思わず話しかけそうになった。やめた。公園でピザ。負けた。

とりあえず立って美術館に行こうと思ったら、見ようと思っていた展示は会期前でやっていない。やさぐれて、渋谷から目黒まで歩いて表参道をふらついてまた渋谷に戻った。3時間くらい迷子になってたのしかった。今日は満月だ。今さら天体について書いてもどうしようもない気がする。しかし困ったことに今年いちばん綺麗な光りかたをしている。

眠気

かなしみが抜けていかないので、遅出にも関わらずスーパーに行き煮物をつくった。料理をするのは好きでも嫌いでもないけど、淡々と野菜を切ってじゃんじゃん鍋で煮こむのは気晴らしになっていい。食べれるしね。なぐさめてほしいわけじゃないのに、ふとした拍子に人と目があっても、景気のいい言葉が出てこなくって弱るんだわ。帰り道がやけに遠いし、明日はどんな自分になってるのか思いつかないけど、まあ、秋だしさあ。かなしいんじゃなくってさむいだけなのかもしれないから、歩いてる途中でふいに立ち止まりそうになっても、泣いたりするのはとりあえず、ごはん食べて、お湯につかってからでいいんじゃないだろうかと思うのね。

部屋につき、同期が夏の終わりに突然くれたあみあみの靴下をはく。おばあちゃんがつくってくれたって言ってたっけ。クリーム色と水色と、ちょっと深い赤色が交差する、洒落た色合いをしている。しみじみと、いい靴下だと思う。知らないおばあちゃんの力を借りてあったかくなる。あったかいっていいことだあ。

最近はじめた俳句を推敲しようとしても、眠気がする。ノートを見ている視界がせまい。早く前髪を切らなくっちゃ。

タコ

指先でつめたい空気をさわって帰る夜道は、「もう秋です」って断言しているね。こごえそうでこごえない、寒さがここちよくって両手が泳ぐ。深夜の道路。

ふいに、末の弟が、告別式に向かうマイクロバスのなかで、「さわってみて」って差し出した左手の指先のタコの感触を思い出す。部活でギターを弾きすぎてできたタコ
「さいしょずるずるに皮がむけて、気づいたらここだけ硬くなったんだよ」
「進化したんだ」
「そう」

ギターを弾いて、歌って、今じゃ作曲もしているらしい、彼は工学部に行くって言っているけど、親戚に進路のことを聞かれたあとにつまらなそうな顔をしている、おまえがほんとうは嘘をついてるんじゃないかって、わたしは思うんだよ。親戚はみんな好きでもない仕事をしていて、「このまま好きなことだけやってちゃいけないのかな」って不安そうにしている彼に「とりあえず一曲つくってうたってみなよ」と言ったら「そうだね」と言われた。弟が真実どう思ったかは知らないけど、そう言い返せる自分でよかったと思った。みんな安定した仕事して、夢なんかもう見なくて、立派で、腰抜けだよ。わたしはさ、あるかどうかわからない10年先の未来がどんなに明るくっても、朝目がさめて、指先がつるつるになってることに気づいたら死にたいくらいしんどくなっちゃうだろう、おまえの2年後が気がかりだよ。

見たくないなあ。もう聞きたくないなあ。「才能がない」とか「好きなことは趣味でいい」とか。嫌われる勇気もないくせに夢を見ているふりをしているやつの戯れ言だよ。そのくせすべてが悪意ってわけじゃないから厄介だ。ああもう、日記書いて寝よう。死ぬ程本を読んでやろう。



生活のすべてが急に苦しいほど好きになって夜道を歩く。もうなんか、歌いたいくらい。何もかもうまくなんかいってないけど、今ならあらゆるすべてに優しくいれそう。こんなの全部気まぐれで、愛なんか流行りの音楽のせいなんだ。

勝手にあきらめたりなんかするなよ。

じゃぶじゃぶに砂糖をいれて
かきまぜたばかりのコーヒーみたいな
甘ったれた気分だよ
ちょっと話をしたいだけで頼んだ
飲みものはいつも 黒さをもてあましている

悪いね

きみの思いえがいている夢のどこに
自分を歩かせたらいいのか思いあぐねても
いつも何ひとつ ひらめかないから
こうして会話が足りなくなるよ

なぜかな

知らない国に行きたいなあ
たくさんの日本語を覚えたのに
ひとを好きになるたびに言えないことがふえていくなら
言葉なんてすべて忘れてさ
野生の動物を抱きしめるときに頭
ふにゃふにゃになっちゃう柔らかさ
あれを愛って呼んで暮らせばいい

なんてさ

それほど事態は深刻じゃないんだ

みんなして
自分はひどい人間なんだって打ち明けたくなるような夜の
ネオンはひときわ綺麗だよなあ
実際 そういうみっともない
告白のすべては遠からず当たっちゃいるんだけど
きみはすこしくらい僕を傷つけてもいいんだ
ひとまずこのメールじゃそう言っておくよ
人知れずうしろめたいきもちでいたところで
僕は気づいてなんかやれないし
死ぬほどドロドロに泣いたって
のむヨーグルトを飲んだらあっさりと出かける明日の
朝にも会いたい人がいて
そのなかにはまだ きみが含まれているんだから
勝手にあきらめたりなんかするなよ