遠くばかり見ていた

窓辺に咲いたキンモクセイが綺麗で、洗濯物を干そうとするたび手がとまる。それにしても、東京にはこの花がとてもたくさん、咲いているね。長野にいたころには気づかなかった。山と田んぼばかり見ていた。この花の名前を知ったのは中学生のころの、音楽の時間だったっけ。形よりも先に匂いを知り、色より先に名前を知った。だからだろうか。キンモクセイと聞くと、オレンジの星型よりも先に、明るい音楽室の床が、目の前に。

資格をとるために毎日大学に通っていた時期がすぎて、頭がぼうっとしている。復帰した喫茶店ではろくに仕事ができない。もともとできなかったけど。相変わらず、先輩達には怒られてばっかりなんだけど、酔っぱらいのお客さんが突然やさしい目をして、「今日はあなたに会えて最高の夜です」とか言うので、くじけずつづけられている。わたしも「そうですか。またお会いしましょう」と返す。ほんの言葉遊びだ。でも、風情があるでしょう。

みんなさみしいのだ。

大事なひとをうしないかけて心がだめになりそうになっていた。でも、やさしいひとがまわりにいすぎて、しばらくそんな真似もできないな。祖母が危ないことを店長に教えたら、ひどく心配して、コーヒーを二杯もいれてくれたし、お菓子もいっぱい出してくれた。しつこい風邪をひいてマスクをしていたら、学生が心配してくれた。友人はわたしにゲロ甘だし、弟も逐一わたしに近況を報告してくる。たいせつにしていた自分のきれいな部分を全部とり落として、それでも今日、会いに行きたいひとがいる。どうしてだろうか。

枝がぼさぼさの松

デパートの屋上でパンにかじりつきながら、小・中学生のときの読書体験について語らった。最高の日曜日ではないでしょうか。ひさしぶりに空とか雲とかを見た気がする。屋上には子連れが多かった。なんかコインを入れるとうごくアンパンマンの乗り物とか、枝がぼさぼさの松とかあって、いいかんじだったな。あまり本について話さないので人と本について話すたびに新鮮に「やったね!」というきもちになる。でも長いつきあいの友人が実はけっこう本を読む人だった、ということが最近よくあり、その都度なんだあ言えばよかったと思いもする。趣味について話すという習慣が自分からは抜け落ちているのかもしれない。なんでだろう。

小学生のときは学校でも家でもずっと本を読んでいて、いちばん読書に一途に恋してた時期だったなと思う。今はもう何を読んでも毎日の通勤みたいになっちゃったから、あの頃みたいに熱中している感じを味わえることってほとんどなくって、本は好きですかと聞かれても「たぶん」としか言えないんだ。けど、好きなんですよね。もうよくわかんないけど。たぶん。めちゃくちゃ。

くま

いつ 会ってもわたしのことを「最高」って言ってくれる、母方の祖父が入院してしまったらしい。手術が終わり次第、退院するとのことだけど。こうも立て続けだとしんどいな。ひょうきんなじいさまなんだよ。わたしのことめちゃくちゃ好きなんだなってことはわかるんだけど、わたしの話はぜんぜん聞いてないの。先日、実家の祖母の具合がいよいよ悪いから、喪服の用意をしろと言われた。しなかったけど。だって、そんなことってあるかよ。葬式の備えなんかなくっていい。そう思わない?

荒んでいたけど、誕生日にもらったプレゼントのくまを撫でていたらすこしげんきがでた。今年はなぜか、別々の人から、くまの皿とくまの置物をもらった。なんでだろう。わたし、くまみたい? 

それはミンドゥル

台風がいってしまって、安心したし落胆した。こんなひどい雨と風でも、冷房のきいた教室のなかでやる授業はいつもどおりで、もう獣じゃないんだなと思った。窓にながれる雨の線を数える。最初から数えきれないことなんか知っている。頭のなかがぼうっとして、なにかやわらかいものが、胸のなかで響いている。ほんとうはまだ覚えていたいことがあるけど、そのうち覚えていることを後悔するかもしれない。

昨日は同期と後輩と浴衣を着て出かけた。浴衣を貸してくれて、さらに髪も結ってくれて、なんだか姉が2人できたみたいだなと思った。ゆりかもめに乗って展示を見に行った。数年ぶりにプリクラをとったりはじめてビュッフェを食べたりした。そうだ。あとひさしぶりに綺麗なものを見てすこし安心した。このごろ、何をしても、何を見てもすぐに言葉にならずに消えてしまう。せわしなくて、光はすぐにわたしの前を通りすぎて、言葉が今に追いつかない。でも、途中、下駄がすれて足の皮がむけてしまって、困っていたらかわりばんこに自分たちの下駄をはかせてくれたことを、いつか思い出したいと思った。

やわらかくない

先生が何を喋っているのかだんだんわからなくなって、ノートのすみっこに「ブラックコーヒー」って書いた。わたしにとってブラックコーヒーはやさしいことばだ。飲むのはきらい。カフェオレがすき。広い教室にたくさん人がいて、先生がかなしそうに話す時事問題、聞いてると息が苦しくなる。これほどたくさんの人がいるのに、休み時間、誰もさっきの授業について話さない。もうこの席について随分たつけど、隣りの席に座ってる子に今日はどんな話をしたらいいのか、本当はよくわからない。なんて、言うけどペットボトルで脇腹をつついたら笑ってくれる。何を言いたいのかわからないよ。でも今よりすこしでもやさしいきもちになれるならなんでもしたいと思ったんだ。

まちがえた。これは自分のことなんだから、自分でなんとかしなくっちゃなあ。教室をぬけだして、映画館に行こうかな。ゴジラはどう? 昨夜、弟が突然電話してきて、どうしたのって聞いたらゴジラおもしろかったよ、って。じゃあ今すぐひとりでぬけだして、走って行こうか中央線。ちがう。ほんとはそんなことがしたいわけじゃない。

おやつに持ってきたラムネを口のなかに放りこんで、遠くから目があった人ににっこり笑う。べつになにもおもしろくないけど、笑うとすこし元気がでる。シャッフルで流れてきたドビュッシーの月の光を、はじめて聴いたときのように聴いてしまう。ピアノ弾くのうまいなあって、思う。そりゃそうか。野蛮なきもちをもてあますのは、聞いてばかりで何も言わないからだよ。

横顔

帰りの電車で、目の前に立っている女の人が泣いてた。目のふちをハンカチでおさえていて、ずっと頭より高いところを見ていた。その姿はみっともないどころか、むしろ凛としていて、夏の朝に、しずかな川をながめているようなきもちになった。隣りに立っている人が大きな花束をかかえていて、さっきからうわくちびるのあたりに、野草のにおいがする。泣けやしない。

忘れたいことをひとつ選んで、それから会おう

いや、ちょっと疲れた。短歌のことばっかり考えてる。同じ人に何日も会い続けることが本当に苦手。わたしは絶対にルームシェアとかできないと思う。さわやかなきもちで同じ人に会うのは、週に3日が限度なんだ。なんて、そんな自分ルールを国は認めちゃくれないし。困ったなあ。わかりきっていることが通用しない。こんな自分を、どうやって続けていけばいいんだろう。昨夜また、父に正社員になれと一方的に説教をされて、激怒してしまった。怒るとおなかのあたりが痛い。いつまでこの痛みは続くのか。忘れさせてほしい。でも、怒らなければ負けてしまう。何にだろう。これは正しさの問題じゃない。だって父は正しい。でもわたしだって間違ってない。どちらも折れる気はない。ただひとつわかることがある。人は誰からも、支配されてはいけないんだ。誰も憎んでなんかいないさ。それだけの話だよ。

この町は道が多いから、通学路をすこしずつ変えて帰ってる。住宅街は緑がしげって、いいかんじ。こんなすこしの工夫が自分のことを助けてくれるかどうか、うまくいくかはその日次第だけど、何もしないよりはマシさ。うまくいったら、明日は誰かを笑かす話題のひとつも思いつくだろう。隣りにいるあなただって、何かかかえているのだろうし、そんなかんたんな話じゃないけど、まあとりあえず、笑おうよ。わたしたちは、そうやって忘れていける。そうやって続けていける。しなやかで、けったいな生きものだよ。