あの日、生きていた

やっと詩集を求めてくれた人のところへ発送できた。日にちの指定があり、なんでだろうと思いつつ連絡をしたら「今日が誕生日なので、自分へのプレゼントにしたかった」と。そんなの作者冥利につきる、というやつなのではないですか。泣けてくる。

ひさしぶりに自分の声を聴いた。音声とセットになっている本をつくったのだ。あのころはそんなことを思わなかったけれど、あのときのわたし、がたしかにここに縫いとめられている、それが人の手に渡っていくというのはふしぎなことだ。わたしすら忘れてしまったわたし、忘れたことすら忘れているわたし。特に音声というのはあたらしい。歌う人はみな、こういう感覚をもつのだろうか。文章よりも、どこか戻りがたい。さかのぼれない時間の厚み。手にとりがたいものだ。自分の体から出ていってしまったものは。はたして、今つくっている本には今のわたしが残るのだろうか。そういう意味では、誰もがわたしにいつでも会える。会いにきてくれないか。と願う。