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外国語が70億ある

「なぜ話をするの?何も言わずに生きるべきだわ。話しても無意味だわ」
「本当にそうかね?」
「わからない」
「 人は話さないで生きられるだろうか」
「そうできたらいいのに」
「いいだろうね。そうできたらね。言葉は愛と同じだ。それ無しには生きられない」
「なぜ? 言葉は意味を伝えるものなのに。人間を裏切るから?」
「人間も言葉を裏切る。書くようには話せないから。だがプラトンの言葉も私たちは理解できる。それだけでもすばらしいことだ。2500年前にギリシャ語で書かれたのに。誰もその時代の言葉は正確には知らない。でも何かが通じ合う。表現は大事なことだ。必要なのだ」
「なぜ表現するの? 理解し合うため?」
「考えるためさ。考えるために話をする。それしかない。言葉で考えを伝えるのが人間だ」
「難しいことなのね。人生はもっと簡単なはずよ。『三銃士』の話はとても美しいけど、恐ろしい」
「恐ろしいが意味がある。つまり…人生をあきらめた方がうまく話せるのだ。人生の代償…」
「命がけなのね」

ジャン=リュック・ゴダール女と男のいる舗道」)

 


写真の先生と話して、ひさしぶりに、喋ることは楽しい、これを話そう、あれをわかってもらいたい、と思った。たいして深刻なおしゃべりじゃなかった。それがよかった。質問をいっぱいしてくれたし、返しがつたなくても、学術的でなくても、役にたたなくても、聞いてくれることがわかったから、わたしはたくさんの大事なことを思い出せた。そのひとつに、ゴダールの映画のこの一節がある。いつ読んでも、いい文章だなと思う。こういうことをわたしは感じたくて何かをつくっていたし、書いていたのかもしれないと思う。そんなの勘違いだ。わたしの見たかったものを他人がつくれるわけがない。なぜなら、それはわたしだけのものだから。わたしだけの綺麗なものは、わたしにしかつくれないものだから。

人間にはほんとうは国単位ではなく、個人単位で言語があるべきだ。日本語がうまれたせいで、英語がうまれたせいで、国境があるせいで、人間になってしまったせいで、無数の言葉を失った。70億の言語が埋もれてしまった。何か言葉をかわすたび、あなたをわかったふりをしている。ときに、楽器や絵の具のほうが、よっぽど言語をもっている。なぜなら私達は、言葉の素人だから。でもたまに、あなたがわかる。言葉にしてくれたからわかる。こんなの勘違いだ。わかっている。ああでもそれは、なんてすばらしい勘違いなのだろう。そう思うよ。