その気になったかい

私のことを好きだと言ってくれる人々にその理由を聞いて回り、ひとしきり否定したい。そんな帰り道がたまにあり、今夜がたまたまそれである。せめてヒステリーくらいヒステリックに起こしたいものだが、結局しないので、0時を以てヒステリー未遂となる。

夜道、紫陽花、ぬるい空気。ラとファの音で適当な歌をつくって帰る。どんなに条件のいい求人情報を見ても気が乗らない。ほんとうは、文学以外にやりたいことなんてない。でもお好み焼きの前で、その情熱がどれくらい情熱なのかを語れと言われても、もう語れないだろう。こんな気持ちを、いったいどんな言葉で、どんな声で言えばいいのか、わからないのだ。生きていることへの焦りに焼かれていない人に会っても、何を喋ればいいのかわからない。こんなに優しくしてくれるのに、言いたいことが見つからない。薄情な話だ。きっとこうやって人を失うんだろう。こわいな。

私は「それっぽく」話すのが得意なので、ちゃんと頭をつかって話せば、結構な確立で人を「その気に」させることができる。ただ問題は、私は筋道を立てて話すのが得意なだけで、筋道を立てて生きられるわけではないということじゃないだろうか。いくら正しいことが頭でわかっていても、正しさのためだけには生きられない。これはでこぼこの海の上を、葉っぱのボートで行く道だから。

思うのだけど、演出が上手くなればなるほど、本質的な意味での信頼を欠くんじゃないか。想定していたよりもずっと、事態が自分の思い通りになってしまって恐い。私は畏怖されたいのではなく、あなたに信頼されたかったのだが、それもまた、今月を以て未遂となる。

たとえばちいさな白い紙のように

窓ほどもある、おおきな白い紙を、無心で名刺サイズに切り続けていたら、すこしだけ透明なきもちになれた。ゴツゴツしたカッターで切った、白い紙の、やや盛りあがった輪郭。直線はうつくしい。切ってしまったということの、このどうにもならなさが、たまらなくいい。とりかえしのつかなさ。もとの紙よりもややシャープに、世界のなかでポツンと浮いている。手を加えたものたちの、「存在している」という潔さが好きだ。

仕事中、女子中学生のような嫌がらせを、自分より二周りも年上の男性から受けて、たまに呆然とする。今日も接客中、聞こえよがしにこちらのお店の商品を悪く言われた。今までだって、挨拶を無視したり、断りもなくディスプレイの写真を撮ったりということは毎日だった。しょうもないことが多すぎて、今まで笑って済ませていたけれど、こんな別れ際になってまで、まだ「したい」のかと思ったら、失望と怒りがないまぜになって、前がまっすぐ見られなくなった。

元に戻らない。だめにしてしまえば、もとに戻らないものもある。でも、私のたましいはどうだろう。他者の人生のなかで、都合のいい悪役を押しつけられて傷つけられるのは、べつにこれが初めてじゃない。いつも思うのだけど、いっそドロドロにひとを呪えたら楽になれるのだろうか。それでも私は、眠って起きれば大丈夫になっているのだろうな。私のたましいは、手元にあるこの白い紙のような、何の役にも立たないようでいて、確実にうつくしい、そういうもののためだけに使う。そうしなくては、いろんなことが嘘になってしまうと、そう思う。

ゆるいしあわせ

なにか口にいれたいけど、ちょうどいいものが何も無い。グミとか、小さいカップラーメンとか、何か買っておけばよかった。いつも、そのときのきもちにぴったりする量しか買わないから、すこし足りなくなってしまう。

社長にたてついた結果、報復のようなクビがほぼほぼ確定した。ひとりの日、ぼーっとお店に立っていたら、友人がひょっこり顔を出してくれた。更には、「なんか大変そうだから」みたいなことを言って、あんず味のお菓子を1個くれた。この人のこういうところ、本当にかっこいいなと思った。かっこいいというのは、それだけでひとつの価値だよね。

だって、かっこよく生きたいではないですか。未来のことを投げやりにしまっておけるほど、もう子どもじゃないし、ぜんぶ許して達観してしまえるほど古びてもいない。わかっているのは、あのままへらへら笑って、頭をさげて、ゆるいしあわせがだらっと続いてしまったら、もう本当に手遅れだったんだということ。ただそれだけだった。

コールドスリープ

注いだばかりのオレンジジュースがぬるかったので、冷蔵庫が壊れていることに気づいた。いつから壊れていたんだろう。そういえば、このところよく唸っていたような気がする。冷凍庫はまだ動くから、冷凍食品だけで暮らそうかな、もう。あーでも、冷凍食品ってきらいなんだった。困ったな。点灯管、ちゃんと買ったのに。今度は冷蔵庫かぁ。今度っていうか、また冷蔵庫かぁ。

生活に興味がもてなくて参ってしまう。たとえば食事。人といる時はおいしいものが食べたいし、お店をさがす努力くらいはするけど、ひとりならトーストでいい。上質な暮らし というものに憧れはあるけど、いざ生活しようと考えると足りないものが多すぎてくらくらする。無理無理。上質、無理。

今のところ死ぬつもりがない というだけで四半世紀も生きてきてしまったので、「この先どうするの?」と聞かれると困ってしまう。最低限 が低すぎる。とりあえず、明日は生きるし、3年以内にやりたいことはいくつかあって、でもそれが何かを言っても、信じてはもらえないだろうな。わかっちゃいるけど、その事実を目撃してしまったら、私はあなた達のことをきっと今よりすこし好きじゃなくなってしまうから、ほんとうに言いたいことは胸に秘めておくんだ。でもそれって、ほとんど誤解させているようなものだろうか。いやいや、ひとつも隠しごとのない関係なんて、それはそれで退屈なものに違いないよ。

そう、思っておく。大事なことはあとにとっておく。待たせている。いろいろな約束が、すぐにも結論を出せてしまえそうな、簡単な なぞなぞを、かろうじて寝かせておいてくれる。

あなただけが地獄の入り口

年上女性の笑い皺が好きなんだけど、原田知世以外にも宮沢りえとか、いいよねー。皺のつきかたまでおしゃれで、憧れる。でもそういう人って少数派かな。私はきっと、最強のおばあちゃんになれると思うけどな。「若くてかわいい」そう言われるたびに、いつか「おばさん」のひと言で拒絶されることもあるんだろうなと心配してしまう。言っても、もう25だし、若いって言われるほど若くないはずだ。そんなことを思って、職場の休憩室で白湯を飲んでいたら、「僕が出会った時に、あなたが15才でも35才でも45才でも、きっと好きになったよ」と、言われたことを思い出した。今にしてみれば熱烈な愛の告白だ。そのときには既に愛とか終わっていて、私の耳も手遅れだったから、よく聞こえなかった。でもこういう、その場限りの熱のこもった言葉に、人生のいろんな場面でふいに、体重を軽くしてもらえることがある。不思議なことに、それがたまたま今日だった。なんてこと、してくれたんだ。ねえ聞きたいんだけど、いいかげん私を好きでいるのは、やめてくれましたか?

過去につきあった人、というか、好きになった人のことを悪く言いたくないのだけど、こうして書こうとすると悪口ばかりだから、結局、恋のことを何一つとして書けない。会いたくなくて、思い出したくもない。世界から消えてくれないのなら、せめて私の人生からはいなくなってほしい。そう思っているのだけど、そう思っているうちに、あなた達は私の一部になってしまった。忘れていたけれど、あなたが私のものとか、私はあなたのものとか、そんな話をする前に、私達は世界のものだったのだ。

もうすこし、思い出とのいい付き合い方がわかったら、私はまた強くなれるだろうか。いったいどれくらい強くなれば、もう強くならなくていいと言ってくれる。どれだけの人と出会えば、もう誰とも会わなくてもよくなる。いったい誰と恋に落ちれば、二度と地獄に落ちなくて済む。答えがわかるまで、歳をとりつづける。

チーズと牛乳とたまご

部屋の蛍光灯が点滅している。おかしいな、ちょっと前に交換したのに……。調べたら、点灯管というものを付け替えれば直るらしい。めんどくさいな。もう1こ間接照明あるし、これでいいかな。ほの暗いオレンジの灯りで、逆にいい暮らし感が出るし。あっ。前にもこんなこと考えたな。つくづく生活がへた。昨年の梅雨まで住んでいた部屋で、灯りの電球が切れたときは、「これも何かの実験・貴重な経験」と言い訳して、3ヶ月くらい暗闇のなかで生活していた。そのときは親にすごく怒られたので、また、終電を逃したひとを泊めたときにひどく申し訳なく思ったので、やっぱり灯りはついたほうがいいとわかった。私も、いま夜に本が読めないのは困るので、買おうと思うけど。でも、あれはあれでよかったな。夜がくらいと、朝のひかりがとても綺麗に見えるんだ。

まあ、頭がおかしいと思われるから、おすすめはしない。最近もらったばかりの可愛い冷蔵庫にはやっぱりチーズと牛乳とたまごしか入ってないけど、それ以前よりは、ちゃんと朝食をとるようになった。

また、人の傘に入って帰ってきてしまった。見慣れないピンク色の折り畳み傘が、台所にあって、そこだけちょっと明るいような気がする。私は傘をよく忘れる。この前も雨の予報の日に、「あー、傘、ないんですよね」職場で先輩にそう言うと、「貸そうか?」と聞かれ、置き傘にしているという、その小さな傘をロッカーから持ってきてくれた。

雨の日に、ちゃんと傘があることって少ない。長野に住んでいたころからそうだった。でも、田舎では、雨の日に傘をさしていなくてもそこまで目立たない。コンビニがそんなにないから、突然のスコールのときなんか誰も対応できないし、そもそも人が道を歩いていたりしない。だからと言うと、田舎の人に怒られそうだけど。でも雨に濡れるのも、いいものだよ。つめたい水に打たれることなんて、シャワーが故障しないかぎりそんなにないことだし。頭がすっとする。あと、雨があんまりひどいときには、バス停でたまたま居合わせた人が傘にいれてくれたり、目の前に車がとまって突然見知らぬ奥様がビニール傘をくれたり、雨宿りしてた車庫の持ち主のおじいさんが車で送ってくれたり……みなさま、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。