行ったことのないスタバ

行ったことのないスタバに行ってみようと思って車に乗った。スタバというのは田舎にあっても自動ドアをくぐったあとはオシャレなものである。塗装の剥げたダイソーブックオフのことを一瞬にして置き去りにするオシャレ速度。あと、店員さんがスタバの店員であることに誇りを持ち、活き活きとしている。と思ったら店員さん同士の仲が悪そうなスタバだった。そういうところもあるんだな。たまたま疲れているだけかもしれないし、私の機嫌が悪いのかもしれない。そう思うことにする。

リュックに入れっぱなしの詩集を開く。チョコの入っているフラペチーノとドーナツを横に置いて、三角みづ紀さんの「どこにでもあるケーキ」を読む。三角さんの詩に流れている血は肌に近い温度だから、家で読んでも良さそうなものだけど、詩はスタバで読むに限ると思う。詩も短歌も、実家で読むようなものじゃない。そう言ったら嗜好品としての詩集を否定することになるだろうか。贅沢品を贅沢なものとして味わうにはシチュエーションも肝心だ、というようなことを言いたいのだけど。そうして私はやっとその本を読み切った。

 

毎日インドカレーを食べていたらインドカレーをつくりたくなった。それと同じで、詩を読んでいると詩が書きたくなる。おいしいカレーをつくったひとのつくるカレーが結局のところいちばんおいしい。おいしいと思わせたいのではなく、またおいしいと思いたい。私はいつも自分の感情の後味を追いかけているだけだ、と思う。