まぶたのうら

3月9日を聴くと中学校の体育館を思い出す。イントロで醸し出される切なさにすこし疲れるくらいには、【3年生を送る会】で何度も歌わされてきた。でも、ラジオでふいに流れるといい歌詞だなぁと思う。過去だからといってやさしいばかりの記憶じゃない。それでも過去を思い出すときにはこういうやさしい歌が流れていてほしい。中学校の体育館の床は、テープの色がゴチャゴチャしていて嫌いだったけど、緞帳の赤色のくすみ具合は好きだった。大切な思い出 って後から上手に味付けしてできるものだと思う。だから十代は綺麗な思い出がなくてさみしい。

一日中家にいてしまうと落ちつかないので、母と入れ替わりで車に乗って、本が読みたくなるくらい遠くまで出かける。坂道をのぼりながら、なんらかの眩しさに木々の上に光るものを見つける。車のライトかと思ったものを月光という言葉に置き換える、その途中で月の丸さにも気づく。思ったより大きくて気持ち悪い。歌いながら行くには、車という乗り物が私に速すぎる。ずっと親といると気詰まりだけど、私が豆乳を飲みたいと言った日から、冷蔵庫の扉の内側一段目に調製豆乳のパックが何個か入っていることを知っている。

それでも、大切な人と二人で話すときにはやさしい喋り方をするのだし、こういうのって私のたましいのおいしい部分じゃないんだろうなと思う。弟といるときにお互いに汚い喋り方をするのは、たとえば東京にきた人が方言を使わなくなるように、ただ土地にチューニングを合わせているだけのつもりだけど、楽にしてるから、手抜きをしている状態を素と呼ぶのならそうなのかもしれない。都会の電車でその調子で話していると知らないおじさんにぎょっとされる。それはそれでおもしろいなぁと思うけど、人間と交わす言葉の中ではやさしいタメ語がいちばん好きだ。

ひとりで怒ったり焦ったりしていないで、やさしい喋り方でいられる時間のことを恋人のことを日記に書いてみたいなぁと思いながら、言いたいことをすぐにLINEで言ってしまう。宇多田ヒカルを聴いて満足してしまう。