あなたのつまらなさにいつも傷ついていた

マグカップ、忘れるところだった! と言って、職場に置いてるムーミンのマグカップを見ていた人が、翌日ちゃんとそのマグカップを忘れていった。それを片づけの日に預かって、バイトが終わって、ちょっと日を置いてからその人に連絡して、お茶をしにいった。バイト先の近くにある、鳥の名前のカフェに行ってみたかったからそこを提案したんだけど満席で、だめだったから田んぼの脇にあるカフェに行った。過去につきあっていたDV彼氏の話とかを、ちゃんとオチもつけて惜しみなく話してくれるような人だから、思ってた通り数時間お茶2杯でたのしく過ごせた。かわいいクマのクッキーをくれた。私は、時間や気持ちの使い方がケチじゃない人のことが好き。

話をしていたらその人が以前東京で勤めていたブラック企業の話になって、芋づる式に私が今年のあたまに辞めた会社のことが思い出された。最初は単に、話に同調していることを示すためのお茶請けとしてそのことを話すつもりだったのに、「ほんとうに嫌いだった」という言葉を口にしたとき、やけに高めの熱がこもってしまったから、私の冷静なポーズは一度そこで台無しになった。

前の会社には朝礼で自分のことを「お局様です」と紹介する女性がいた。その人のことが嫌いだったし、その人にされたことのなかでその自己紹介がいちばん嫌だった。自分を茶化すのと馬鹿にするのってぜんぜん違うと思う。もしかしたら、そうやって自分の振る舞いや立ち位置を嘲るように称することで許されたかったのかもしれない。でも笑えないし。誰も笑ってなかったし。どんなに自分のことを嫌いでも、生活を仕事をキャリアを気に入っていなくても、自分で自分のことを馬鹿にしちゃだめだと思った。見ていて傷つく。

もうそういうの忘れるところだったし、忘れたことにして働いていたし、たぶん忘れちゃったほうがいいんだけど、私の2019年というフォルダの中にその人は大きく居座っていて、その人をその人にされたことを記憶を捨ててしまったら、生きのびようとした今年の私のたましいまで欠けていってしまうような気がするから、しばらくはまだ傷ついたままでいい。だって、出会ってしまったのだ。もう元には戻らない。苦しくても惨めでも、それでよかったと思える自分になりたい。なれると思う。今なら。

その日は鳥の名前のカフェのリベンジをしよう、と約束して別れた。すっかりそのカフェのプリンを食べたい口になっていたから、満席だと知ったときはかなしかったのだけど、こうして次の約束の口実になるなら、それでよかったのかもしれない。