欠けない

自分のことを相づちを打つ機械にできるから、接客で人と関わるのは好きだ。いらっしゃいませ。店内のご利用ですか? お席までお持ちしますよ。ミルクはご入用ですか? 自分の話をせずに、こだわりを押しつけずに、ただ人のしてほしそうなことをして、言ってほしそうなことを言って、笑っていれば、恨まれることも深入りしすぎることもない。できるだけ人に優しくいたいけど、その思いだけになれるための条件がいくつかあって、ただの私でいると、自分の過去や夢がうすい牛乳の膜のようになって邪魔をするのだ。その膜ににくるまれてしまうと好き嫌いが生まれて、すべての人に笑いかけられない。だからレジに立つ度、いらっしゃいませと言う度、自分の人生を忘れたふりをする。大事なことを話さないようにする。その分だけ他人が遠くなって、他人のなかの私が歪んでいくのがわかる。だとしても、私が他人にがっかりしてしまうよりは幾分マシに思える。

自分から突き出ている棘の在り処を見誤る。それで取り返しがつかないほど傷つけてしまった人のことを思い出すと、お腹の辺りの血がビリビリとして、ただでさえひどい猫背に拍車をかける。気に入っている思い出よりも自分を責め立てる思い出を、欠けないように運んでいるのは何故なんだろう。きっと自分に衝撃を与えることが趣味なんだろうと思っていたけど、悩むことも苦しむことも、状態ではなく性格の一部なのかもしれないと最近では思っている。