日々の安全性

何か嫌いなところがあったら言ってね って、やさしさみたいに言ってるけど、そのやさしさの向かう先は君であって私ではないよね。ということを数年経った今になって思う。そのときはそういう免罪符の売り合い、予防線の張り合いが楽しかったから言葉にしようと思えなかったのかな。


バイトに行ったら「無事でよかった~」と言われながらハグをされた。咄嗟に会話らしい言葉が出てこなくて、「あたたかい職場」とつぶやいたら笑われた。スキンシップは苦手なんだけど、そのときは嫌じゃなかった。今のバイト先の人たち、すごく情のあるいい人たちだから、次のバイト先もメンバーだけ同じにならないかな。

数日前に交通事故に遭い、乗っていた車をお釈迦にしてしまった。事故の瞬間、あ、死んだ と思ったから、今でも体が無傷なことが不思議でならない。正確には無傷ではなくて、筋肉のあちこちがたまに痛むのだが……。レントゲンをとったら、「首の骨がまっすぐすぎる」と言われた。普段から運動していないせいで首の筋肉が足りないらしい。言われながら、もう運転のことネタにできないな とか考えていた。してるけど。

自分もだけど、相手が死んでいなくてよかったと思う。周囲にその可能性を言う人はいなかった。私の味方でいてくれて、だから 生きててよかった 無事でよかった と言ってくれたのだった。言葉に感情や時間をかけることを惜しまないでいてくれる。自分が(やさしさだ)とそのときわかるやさしさをくれる人にばかり逢えているから、安全な日々をしくじっても、自分のことをそこまで嫌いにならずに済んでいるのかもしれない。

 

(以後、気をつけます......。)