花の味

「しばらくは長野にいるから」と口にして、(そうなんだ)と自分で自分に相づちを打つ。こんな風に少しずつ、雲が形を変えるときのような速度で未来を選びとっている。たったひとつの会話、たった一度の行動で驚くほど変わってしまうこともあれば、何十回何百回と繰り返しても人生に傷ひとつ付けられないような、些細でありふれた習慣もある。そういう自分の生活のだらしなさに、考えることの強度のなさに、いつも力の抜けた笑いが漏れる。思い通りにならない。今はそれがうれしい。

何もわかっていないくせに何かをわかったような口をきける。言葉を覚えたおかげだ。むかし、哲学の授業で【正しい人間がいるのではない。正しい行いをした人間が正しい人間と呼ばれるのだ】みたいな内容のことを言っている、そういう文句を読んだのだけど、出典を忘れてしまった。私はこれを、教訓ではなく皮肉ととったのだけど、ほんとのところはどうなんだろう。自分の定義を他者に明け渡して、混乱していく人も明るくなっていく人も両方知っていて、それでも、ただひとつ(喋ってばかりの他人はうるさい)と思う。

草の中をふらふら歩いていたら、秋だね、空気が甘いねと今朝、バイト先の人が言った。息を吸いこむと舌の真ん中で花のような味がした。種明かしをひとつするとしたら、小児科で「甘い薬と苦い薬どっちがいい?」と聞かれて、「甘い薬」と答えて、吸った、ぜん息の薬の味ときっと同じような仕掛けの手品だった。