混じり気

高円寺に、大学の先輩の展示を見に行った。長野からきて、長野に帰ると言ったら驚かせてしまった。引越しやらなんやらで、先月から東京と長野を行ったりきたりしているから、自分としてはそこまで驚かすつもりはなかったのだ。追いかけるように台風がきているのには驚いたけど。(新幹線の終電には、なんとか間に合った)友人達にも会えて、話ができてたのしかった。会わない期間にあったいろんな悲しいこと、悔しいことを、おそらくお互いにうっすらと感じ取ってはいたのだけど、それには踏みこまずに、よかったことや夢について話した。たぶん、揃って会うのが久しぶりすぎて、すこし人見知りみたいになっていたせいもあるんだけど、友人達と先輩の、静かに燃える炎のような、やわらかい雰囲気になんだか薄く感動すらしたし、毒を抜かれてしまった気がする。

綺麗なものを綺麗なまま見せることや、優しさを優しさのまま人に手渡すことは、実はとても難しい。皮肉や毒を混ぜた方が、より「ほんとう」らしくなることを知っている。自分がそういうことをしがちなことも。それが好ましいかはさておき、事実だ。でも、それでよかったのか、ということをたまに考える。楽しさや好意をそのまま伝えて、おそらくそのままの形で受け取ってくれる人にばかり会っていると、当たり前ということにして、歪ませたままにしておいた自分の定点が急に際だって、なんだかうなじあたりがムズムズとしてくる。どうしてそんなふうに、優しいままでいてくれるんだろう。