旧作フォルダ

花火が見えるよと言われて階段を上がって行ったら、窓から小さい花火が見えた。近所の高校が後夜祭をしているようだった。あの花火の下に、今日が高校生活最後の文化祭 という人々がいるのか、と思ったら、なんだかゾッとした。自分が10代じゃなくなってからも世の中に10代の人はたくさんいるし、弟達が10代じゃなくなってからも世の中に10代の人はたくさんいて、その体は私達のものとはまるで違う人のものであるということ。そんな当たり前のことに、得体の知れない戸惑いを覚える。校舎とか行事とか制服とか、そういう舞台装置がまだ自分に続いているもの だなんて、なんでそんな風に思えてしまうんだろう。かんたんになりたいと願うくせに、そういう自分の安直さには退屈してしまう。

そうだ、引越し終わりました。向こうでは人に会って、奥多摩の鍾乳洞に行ったりピザを食べたりコーヒーを飲んだりして、現実逃避をさせてもらいながら退去の手続きをあれやこれやと済ませてきたのだけど、帰って来たら親に「顔が丸くなったね」と言われた。それは元々だ。あと荷造りを始めてから目の下がすこし腫れてしまって、メガネ生活を強いられていたのだけど、段ボールの運び出しが終わった翌朝に治っていた。体が正直すぎるのではないか。いくらなんでも、生活に必要なストレスには耐えたほうがいいのではないか……。これはでも今更だ。そんなわけでコンディションは最悪だったけどいろんな人に会ってもらえて、うれしかった。ジゼルに載っていそうな上品な装いの先輩が、珈琲西武の真っ赤なソファに座りながらマッチで煙草に火を点けていたとき、壁画みたいでワクワクした。写真を撮りたかったけど、撮れなかったからここに書いておく。

今の自分にとって、思い出は懐かしさではなく疎ましさのフォルダに入っているもののほうが多くて、だからこういう日記が書けることに助かったりする。ほんとうはもっと早く、新しい体験をして新しい思い出を増やして、傷つくような過去から遠ざかりたいと思っていたのだけど、ずっとできなかった。だから繰り返す嫌な思い出に、くれぐれも新鮮な感想を覚えないように、こうして書き出すことで時間を半殺しにしていた。でも、やっとそれが腕で足でやれるだけの体力がついた。ついたってことにしていい?

段ボールを出しきって、振り返ったときに「私はこの部屋が好きだった」と思った。4畳半程度の狭い部屋。窓の多い、チープで可愛い照明のある部屋。できるなら次に住む部屋では、嫌いな人ではなく、好きな人たちのことを思い出す時間を多くとれるようにしたい。次に暮らす部屋を選ぶのが、いつになるのかわからないが。とりあえず、長野の夜は涼しくてよく眠れそうだ。