姿

昨日、母が夕方に出かけていくときに「誰に会うの?」と聞いたら、「年に一度、七夕の時期に会うことにしているママ友」と答えられ、友情にしてはロマンチック過多だった。七夕なんて忘れていたな。一方私は夕飯の支度を頼まれ、トマトのスープをつくったはいいものの、父に「何これ?汁物?」と予想外に定義の部分を聞かれ、若干落ちこむなどしていた。水気が少なかったかもしれない。

バラエティのやりとりに声をあげて笑えるようになっている。「そろそろ大丈夫」と何回も口にして、その度に自分に裏切られているから、もうそういうの、いいかな。ここからがダメでここからが大丈夫なんていうわかりやすい境界線が見えていれば、そもそも人は限界を見誤らない。せめて、何かを信じることが自分を裏切ることにならないようにしようと思って、そうやって毎日を暮らしているけど、すぐにわからなくなる。迷う。出かける前にふと鏡の前に立ち、前髪を直すとき、右目と左目と目が合う。クマがあるな、とか、自分の顔のスペーシングってこういう感じだったっけ、と首をかしげる。そういった具合で、間を置いて、客観的に自分を見たときですら、それは鏡越しの姿に過ぎないということを、普段は忘れている。他人が見るように自分を見ることはできない ということは、いつまで経っても不思議なことだ。