春は葛藤

いちご大福を買うときに、いつもためらう。食べたいときのきもちと、食べたあとの幸福感がつりあわない食べ物というのがこの世にはたくさんある。その代表格としていちご大福を挙げてみたい。それ以外にたとえるならば、それはクリームソーダにのっかってるさくらんぼとか、とりあえずカレーライスに混ぜておいたニンジンにも言えるのだけど、いちご大福というのは存在自体がアンビバレントな食べ物なんじゃないかって思う。(ごめん、アンビバレントって言ってみたかっただけ。)そもそも、あんことフルーツって組み合わせは「おいしい」より「かわいい」が勝ってるじゃん。

でも今日は特にためらわなかった。レジに並んでいるときに、あのピンクのシルエットが目に入って、食べたいって思って、それから自然にカゴに入れられた。なんでだろう。いちご大福への期待が薄まったのか、がっかりすることに慣れてしまったのか。どっちもか。ピンク色のやわらかい輪郭。無遠慮に透けて見えるあんこの黒色は、もっちりした大福の触感を想像させる。はやく食べたいなー。もしかして、「かわいい」が「おいしい」を内包するようになっちゃったのかもしんない。

春がくるといつも後悔する。春の朝の、どこかだらしないのどかさに馴染めない。冬の寒い風がふく、清潔な朝に未練を覚える。しばらく何も考えたくなくて日記を書かないでいた。「書くことは考えることである。よって書いていないときの人間は何も考えていないのと同じ」みたいな内容の、攻撃的なポップを書店で見たことがある。そのとき隣りにいた友人は書く人でないからか、その言い様に怒っていたのだけど、私は殴られた人の顔になっていたと思う。書いていないときは何も考えていないというより、何も決めていない。前にも書いたかもしれないけれど、私にとって書くということはどこかで自分を決めていく行為を含んでいるので、ちょっとこわいことだと思う。でもこの日記を書いてみたのは、そろそろ何かを考えてみたいと、私のからだが望むようになったということの証左なのかもしれない。なにかを考えてみたい。新しい季節のなかを歩いてみたい。期待と失望の組み合わせ。いちご大福って、新しい季節そのものなんじゃないか。なんてな。