乳白色のはだか

明け方の5時、寝つけなくてゴロゴロしていたら、フランスにいる先輩からセーヌ川の写真が送られてきた。美術館の絵で見たことがある景色のような気がするなあと思った。「フランス人がフランスパンをむきだしで持ち歩いてるところを目撃したら、私に教えてくださいね」と返信した。

今年の夏は暑すぎて、せっかく時間があるのに美術館にめっきり行ってなかった。ちょうど独りに煮詰まってしまったと思っていたので、今日はどこかに行くことにした。展示情報を見てみたけど「これだけは行かなくちゃ」って直感的に思えるものがどうも都内にはない。東京都美術館の展示室が個人的に好きだからという理由で、藤田嗣治展に行くことにした。夕方に歩く上野は、多少落ちついていた。藤田嗣治は裸婦画が有名だと聞いていたから、「男が描いた裸の女の絵なんかにぜったいぜったい感動しねえぞ」と喧嘩腰で行ったのだけど、乳白色の下地で描かれた裸婦画のゾーンには神々しさすら感ぜられる 光、のようなものがあふれ返っていて、これを美術と呼ばずしてなんて説明すればいいのか、とわけがわからなくなってしまった。くやしいけど、圧倒的な何かに価値観を打ちのめされる嬉しさというものがある。私はそれを感動だと思っている。

そもそもなぜ裸婦画に嫌悪感があったのかと言えば、人間の裸を見たくない というきもちが、どうも人より過分にあるからだと思う。その理由は色々とあるのだけれど、性を感じることが私にとっては恐怖なのだ。裸というものを性愛と切り離して描いている作家がこの世にどれだけいるだろうか。私は画家の描く女体を見ると、いつも「女として俺たちを魅了してみせろ」と迫られているような気がしてウンザリするのである。巨匠の展示に行くとほぼ必ずある裸婦のコーナーを、女性はどんな気持ちで見ているんだろう。なあ、どう思ってるんだ?

と、いうことを踏まえても、今日見た絵はなんだか素晴らしいものだった。絵を描く人の冷静と情熱が好きだ。私を悩ませてくれて、どうもありがとう。