すこしの庭

ハヤシライスと味噌汁以外のものをつくろうと思って、カレーをつくった。なんでまちがえてしまうんだ。

冷蔵庫の野菜室に、今、トマトと茄子とピーマンとキュウリが入っている。先日、母が泊まりにきたときに、庭で採れた夏野菜を持ってきてくれたのだ。この調子ならピーマン以外は無駄にせずに済むかもしれない。(ピーマンは食べ方がよくわからない。)食材はいつの間にか腐ってしまうから、冷蔵庫には基本的に2日以内に消費できるもの・メニューが浮かんだものだけを、ちょっとずつ入れることにしている。だから最近は、すこしそわそわしてしまった。

そういえば、しれっと書いたけど、あれから冷蔵庫をなんとかして捨てて、手に入れた。冷蔵庫がないときは「あったとしても大したものはつくらない」と思っていたのだけど、冷蔵庫があるときは「冷蔵庫があるからなにかつくろう」と思うのだから不思議なものだ。私が生活のいろんなことを先送りにするのは、緩慢な自傷のようで、我ながらあんまり心配させるなと思う。それでも生活に付随するいろんなことが、たまにどうしようもなく面倒くさい。面倒くさがることを、私は私に許す。

生きていくために、こころにすこしの庭がほしい。庭というのを、たとえば詩と言い換えてもいい。街がこんなに広いから、私には庭が必要なのだ。実家の、固い土の乗った庭のことを思い出す。キュウリや茄子のカーテン。ブルーベリーの木。ふくらはぎに擦れる、背の高い雑草の感触。そこではいつも夕方で、ミンミンゼミではなくヒグラシの声がする。もう、夏休みを終わりにしなくては。