夢日記

前職でかじっていた活版印刷を、仕事としてもう少し続けたいという気持ちがあって、この1ヶ月あがいてみたけれど、どうもそれは難しいということがわかった。とにかく求人がない。あっても遠い。おまけに言うと給料が低い。違う職種にあれこれと応募して、それでも諦めきれなくてぼんやりしていた。今日は区切りをつけるためにと、勉強がてら、活字の鋳造体験に行ってきた。立ってるだけで死にそうだったよ。活字は400℃の熱でつくるものだから、会場はクーラーなし。麦茶あり。燃え盛る炎も、できたての活字もきれいで、くらくらした。

古くからある活字や印刷機、また鋳造機そのものが好きだ。職人さんたちは「ただの鉛の塊だよ」と言うけれど、そんなことはない。この無骨さがたまらない。うつくしい、と思う。張り巡らされた導線や部品のひとつひとつの存在理由を知るたびに、知らない動物に出会ったときのようにわくわくする。

ただ、物自体も好きなのだけど、職人さんという存在、そのものにも惹かれていたということに、今になって気づいた。「物はあくまで物であり、手仕事は産業にすぎない」という冷静な姿勢と、そこに見え隠れする圧倒的な技術とプライドのようなものが、とてもかっこいいと思う。それはきっと、生涯をかけてたくさんの仕事をこなしてきたからこそ出てくる味わいなのだ。

私はおそらく、そこにあこがれていたのだ。ずっと、何にひっかかっていたのかわからなかった。仕事というものを考えたときに、職人というありかたは非常に魅力的に思える。だが、この時代に、今いる熟練の職人さんたちと同じような形で、一から活版印刷に関わることはできないだろう。活版印刷は技師ひとりでは成り立たない。印刷をする人以外にも、活字をつくる人、その機械をつくる人、仕組みを理解してうまく利用する人がいなければ。そしてもう、そういった連携は着々と滅んでしまっているという。以前、著名な技師さんの工房にお邪魔した際に相談したところ、仕事にしたいなら、やりようはあると言われた。平日は違う仕事をして、休日だけ名刺を受けるなど。また、3Dプリンターを駆使した活字の製造も進んでいるらしい。でも、それは違う。私が、今それをやるのは、きっと違う。なぜだろう。そう考えてわかった。私は過ぎた時代にあこがれていたのだ。

さて、何か結論を出そうと思って、この日記を書き始めたのだけど、ここから先がどうにも書けない。今日は、すこし目がさめた気がしただけだ。明日になればまた忘れてしまうかもしれない。二度寝してしまうかも。私は何事も答えを出すのを保留しすぎる。でも、それでいいか。目がさめることで見られる、新しい夢もあるだろう。