たとえばちいさな白い紙のように

窓ほどもある、おおきな白い紙を、無心で名刺サイズに切り続けていたら、すこしだけ透明なきもちになれた。ゴツゴツしたカッターで切った、白い紙の、やや盛りあがった輪郭。直線はうつくしい。切ってしまったということの、このどうにもならなさが、たまらなくいい。とりかえしのつかなさ。もとの紙よりもややシャープに、世界のなかでポツンと浮いている。手を加えたものたちの、「存在している」という潔さが好きだ。

仕事中、女子中学生のような嫌がらせを、自分より二周りも年上の男性から受けて、たまに呆然とする。今日も接客中、聞こえよがしにこちらのお店の商品を悪く言われた。今までだって、挨拶を無視したり、断りもなくディスプレイの写真を撮ったりということは毎日だった。しょうもないことが多すぎて、今まで笑って済ませていたけれど、こんな別れ際になってまで、まだ「したい」のかと思ったら、失望と怒りがないまぜになって、前がまっすぐ見られなくなった。

元に戻らない。だめにしてしまえば、もとに戻らないものもある。でも、私のたましいはどうだろう。他者の人生のなかで、都合のいい悪役を押しつけられて傷つけられるのは、べつにこれが初めてじゃない。いつも思うのだけど、いっそドロドロにひとを呪えたら楽になれるのだろうか。それでも私は、眠って起きれば大丈夫になっているのだろうな。私のたましいは、手元にあるこの白い紙のような、何の役にも立たないようでいて、確実にうつくしい、そういうもののためだけに使う。そうしなくては、いろんなことが嘘になってしまうと、そう思う。