わかってしまわないように

大学時代、卒業制作のときに苔を育てている友人がいて、よくわからないけどいいなと思っていた。そのことについて最近になってふれたら、本人も「なんであんなことしてたんだろう? ほんとうに意味がわからない……」と言っていて、やっぱり意味はわからないのか、と思った。よくわからないからできるということもあるのだろう。わかってしまったらやる意味がないようなことも、あるではないか、わたしたちの生活には。

 

たとえば目がさめて、すべてがわかる朝がくることもあるだろう。出窓からさしこむ透明な朝のかおり。散らかった枕元の本たちが、あらかじめそのつもりだったと言わんばかりの、静かな佇まいでそこに積み重なる。昨夜まであんなに居心地悪そうにしていたくせに! 呼吸はかつてないほど整っていて、胸が湧くのに興奮していない。肩も背も、羽がはえたように軽い。そんなときにふれているものが、希望なのか絶望なのかわからない。わからないままもう一度眠ってしまえば、次におとずれるのは不完全な朝だから、わたしはまた、わからないまま一日をもう一度始めることができる。わかってしまったら、そこでこのお話はおしまいなんだ。