大丈夫にならない方法

朝、大学に行っていつも通り仕事をしていたら、備品を返しにきた学生が「朝からたいへんですね」と心配してくれた。こんな卒業制作まっさかりのたいへんな時期に、仕事している人間を気づかってくれるなんて、やさしい子だと思った。てらいのないやさしさに出会うたび、もっとしっかりしなくっちゃと思う。思うんだけど、しっかりしていない。おかしいな。昨年よりはマシになったはずなんだけど。

そう。マシになった。ダメだったのに、いつのまにか大丈夫になっていく。朝同じ時間に起きることも、同じ道を通うことも、最初は納得のいかなかったいくつかの仕事内容も、できなかったコミュニケーションも、いつしか大丈夫になって、気にならなくなって、なじんでいく。それを成長という単語にかえて呼ぶこともできるのだけれど、というか、それがこの世の常なのだけれど、なぜか違和感がぬぐえない。わたしは大丈夫なんだろうか。闇にむかって、吐いた息が白すぎる。ああこれは溜め息だ。溜め息という名前のついたひとつの人間の仕草で、今のわたしにふさわしい呼吸方法にすぎない。もっと自分のふるまいに無関心になれば生きやすい。でも、それは生きてるって言えるのかな。