やわらかくない

先生が何を喋っているのかだんだんわからなくなって、ノートのすみっこに「ブラックコーヒー」って書いた。わたしにとってブラックコーヒーはやさしいことばだ。飲むのはきらい。カフェオレがすき。広い教室にたくさん人がいて、先生がかなしそうに話す時事問題、聞いてると息が苦しくなる。これほどたくさんの人がいるのに、休み時間、誰もさっきの授業について話さない。もうこの席について随分たつけど、隣りの席に座ってる子に今日はどんな話をしたらいいのか、本当はよくわからない。なんて、言うけどペットボトルで脇腹をつついたら笑ってくれる。何を言いたいのかわからないよ。でも今よりすこしでもやさしいきもちになれるならなんでもしたいと思ったんだ。

まちがえた。これは自分のことなんだから、自分でなんとかしなくっちゃなあ。教室をぬけだして、映画館に行こうかな。ゴジラはどう? 昨夜、弟が突然電話してきて、どうしたのって聞いたらゴジラおもしろかったよ、って。じゃあ今すぐひとりでぬけだして、走って行こうか中央線。ちがう。ほんとはそんなことがしたいわけじゃない。

おやつに持ってきたラムネを口のなかに放りこんで、遠くから目があった人ににっこり笑う。べつになにもおもしろくないけど、笑うとすこし元気がでる。シャッフルで流れてきたドビュッシーの月の光を、はじめて聴いたときのように聴いてしまう。ピアノ弾くのうまいなあって、思う。そりゃそうか。野蛮なきもちをもてあますのは、聞いてばかりで何も言わないからだよ。