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おぼえたての言葉のように

なんとなく憂鬱で、ぼんやりと力なく過ごしていた。それを曇り空のせいにしていた。でも昨夜、お客さんに世間話の延長で「おばあちゃんとおじいちゃんは元気?」と聞かれ、「おばあちゃんが転んじゃって、ずっと元気がないんです」と答えた。そのとき、わかった。自分の元気がないわけが。その場の空気を沈ませちゃったかもしれないけど、すこし喉のつかえがとれたような気がした。祖母が入院してしまって、意識や記憶がさだかでない日が続いている、と先週、父から連絡をうけた。心配なので週末にお見舞いにいくことにした。心配だから、会いたいから行くのに、わたしは面会するのが、正直こわいのだ。こういうとき、どうしたらいいのだろう。もうこわいことなんか、たいしてないだろうと思っていたのに、こわいことは無限にある。そしてこわさの中にあるとき、人はいつだってひとりだ。だだっぴろい野原のような場所に、気づくと置き去りにされている。



喫茶店が毎月出してる瓦版があるんだけど、今日最新号が出てたんだよね。それを休憩のときに読んだら、ママさんが「さいきん余裕がないのか、お客さんの態度に過剰に傷ついてしまったり、新人の子のミスに大げさに溜め息をついてみたりしていて、自分が情けない」みたいなことを書いていたので、びっくりした。つよい人だと思っていた。ナポリタンを食べながら、どうしても泣きそうになってしまったので、棚の上段に置いてあるウイスキーのボトルを一心に眺めていた。たくさんの名前の書かれたタグがついている。ボトルをキープしているってことは、常連さんのはずなんだけど、わたしはまだ数えるほどしかその名前と顔が一致しない。

おぼえたての言葉をつかうときのように、もっとはずむような気持ちで話しかけようと思った。誰かの話に笑っていようと思った。目の前の人に誠実でいることしかできない。すべての人に都合のいい自分でいることはできない。だから時には傷つける。わたしにだって、通したいわがままがある。わがままを通したって、通さなくたって、かなしみを完全に遠ざけてしまうことはできない。それでも、せめて生きたいように生きれば、後悔はしなくて済む。