のはら

故郷の写真を助手さんに見せたら、目をかがやかせて「トトロじゃん」って言ってくれたけど、わたしにはそれが一瞬よくわからなかった。田園、そこにさす夕陽、山並み、すべてずっとそこにあったものだから、見るものではなかったのだ。ビルと同じように山を見ていた。だから、ああこの人にはわたしにはわからない綺麗なものが見えるんだと思って、ちょっとうらやましくなった。でもそこはわたしの故郷だから、こんなふうに思うのはたぶんへんなのだけど。

読みたい本がたくさんあって、携帯にメモをする。こんなの久しぶりだな。友人が「本なんてどれを読んでも、みんな同じことを言い方を変えて言ってるだけだよ」と言ってたのを思い出す。たぶんみんな薄々そういうことに気づいていて、でも本を読むのはなんでかっていうと、やっぱりお気に入りの暇つぶしだからなんだろうな。本を読むのと同じことが、ほかでもできるし、ほかではできない。

AIがなんでもやってくれるようになったら、きっと職人は閉業みたいになるけど、職人はいなくならないと思う。それはなぜかというと、わたしたちは幸福に向かって生きなくてはいけないからなのだ。技術をただ洗練して真理をめざしたりすることがどんどん難しくなって、きっとあとにはただ生きるために生きるしかなくなる。でもそれでいいのだ。生きることじたいが娯楽にすぎない。この長い時代という空白のなかにごろんと寝かされている。それがなんだか心地いい。