他人の君

もう他人になってしまったかもしれない、いつか、自分をすきだと言ってくれた人たちのことを考えてみる。たくさんの、表情や言葉のことを、忘れてしまわないうちに、指先で撫でるように引っかけ、拾いあつめてみる。いつも、居心地のわるそうな笑顔で、受けとることしかできなかった。ちょっと、怖かったんだよな。好意のエネルギーって、とても強いから、湿った日は、体がよれてしまいそうになる。軽く、被害。でも、ふりかえるとそんな言葉が、たまに自分を引っぱってくれたりもする。なにか、そういうことがすこしだけ、暖炉の残り火のように体をあっためてくれたりする。これは、人間にしかできないことなんじゃない?

ゴミを捨てようと思って、外に出た。真夜中の風を吸ったら、キシリトールの味がしてね、すこし涙が出そうになった。明日は仕事が休みだ。一日をふりかえるのは、もしも世界にわたしひとりきりだったなら、どんな風に生きただろうかと想像することに似ている。もしも、なんの枷もなく生きていたら、あのとき、どんな風に喋ったか。なんて、無駄とか、言う? でも、これだってわたしの趣味なんだ、許してよ。そういえば、きみが内緒で貸してくれた作家の本は、あれきり読んでいないけど、本屋で見るたびにちょっと、かゆいような、痛いような、やさしい気分になって、それも悪くないな。あの日、すべて忘れてくれても構わないと言ったのは、わたしがずっと、覚えているからなんだ。