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だらしないだけ

気候が不安定なのか、息がつづかない。横になって、これから先、自分にできることを考えていた。いや、ほんとうは音楽を聴いたり漫画を読んだりしていたのだけど。まあ、ぼんやりしていたということだ。


「ロビノー君、人生に解決法なんかないのだよ。

人生にあるのは、前進中の力だけなんだ」


サン=テグジュペリ「夜間飛行」)

 




数年前、同窓会で、懐かしい人の話をしていたときのことだ。話の流れで、「よく覚えているね」「やさしいねー」と言われ、「でも、向こうはわたしのことなんてきっと忘れているだろうなあ」と笑ったら、間髪入れず「あなたのことを忘れる人なんてクラスにひとりもいないよ」と言われたことがある。なぜか笑い飛ばせなかった。

あの頃のわたしに、人の記憶に残るようなことが、なにかひとつでもできただろうか。わからない。いつだって、わたしは自分がふがいなくて、すぐに忘れてもらっていいようなことしかできない。ただ、わたしはあの頃に比べ、ずいぶんと色んなことを思い出すようになったし、たくさんのことを覚えていられるようになった。覚えようとしているということなのかもしれない。覚えていたいことがあるというのは幸福だ。そうだな。わたしは幸せ者だ。いつかわたしに優しくしてくれた人たちも、たのしくやっていてくれればいいのだけど。

わがままでいい貧乏でいい役立たずでいい。かたくなで誰にも信用されなくて一生報われなくても、信じた幸福のために生きるべきだ。そのためなら夢でも恋でも金でも平和でも、なんでも、あなたに向く手段をひとつだけ選べばいい。ゴールを目指して前進するときだけ、ひとは人生を忘れて自由になれる。ただ、ゴールが暴力であってはだめなのだ。なぜなら人間は、動物という枠組みのなかではいつだって公平なものだから。それにどこで気づくか。すべてが終わってしまってからでないと気づけないだろうか。人の痛みを自分のものとして感じるためには、同じ傷をうけるしかないのだろうか。

だらしないな。すこし脱線した。本題はいつもないけれど。でも、浅はかなことが問題になるのは誰かを傷つけたときだけなのだ。なぜ、他人を傷つけてはいけないか。なぜ、人は幸福のために努力するべきか。わたしには答えがあるよ。あなただって、ほんとはわかっているのだろう。