あの森の名前

雑誌の整理をしようとしてうずくまったら、風がふいて動けなくなった。見るとちょうど窓の隙間から、サボテンを通りぬけて、わたしのところに風がやってきていた。そういうちょっとしたきっかけで、わたしの体がするするとほどけていくのがわかる。うつくしい。あとかたもないのに、これがうつくしいとわかる。見える。その柔らかさそのつめたさに、わたしのうなじが名前をつける。

油絵の具がゆっくりと固まっていく匂いや、石膏がてのひらをつるつると滑りおちていく白さ、発光するディスプレイの中ですこしずつ移動していく文字。そういった手段を用いてわたしはいつも、この風の毛並みにふれようとした。

あんなに帰りたかった。その場所が今は見える。それは青とも緑とも言えない、白んだ霧のなかにある、ひどく湿った風景だ。森、あの森。あの場所から風がふいている。それがわかる。今、ほんのすこしだけ。