清算

日記を書くだけの電力が、頭に残っている夜だ。あー、ひさしぶりだ。一週間なにしてたかって? バイトの研修で朝から晩まで日本国憲法を勉強したり、鎌倉旅行に行ったり、雨ふりの中、友人と教授の誕生日プレゼントを選んだり、嵐の日にお花見したり、バイトしたりしてた。春休みの清算みたいな一週間だった。いい春休みだったな。

清算された休みは綺麗さっぱりなくなって、今やすっかり新学期だ。ゼミを選んだりしなくちゃいけなくってさ、いよいよわたしも4年生になったらしいぞと思った。思わざるを得ないな。特にこれといった感傷も感慨もない。時間は過ぎるものだ。ただ、小学校も中学校も高校も、ずっと卒業したいと思っていたけど、大学はそういう気持ちにならない。それはいいことだと思う。


「大学生?」「何年生?」「就活してる?」の三段活用、勘弁してください。してません。最近は喫茶店のおじちゃんまでわたしの将来を心配してくれる。やれやれだよ。ありがとうございます、って曖昧に笑うことしかできない。悲観も楽観もしていない。ただぼんやりと覚悟している。わたしの甘えの始末はわたしがつけるしかない。

フリーソフトなんかほんとは欲しくないし、パソコンなんか一息にぶっ壊して農業でもしたい。うつくしくなれなかった作品を集めて燃やして大学でキャンプファイヤーでもしたい。とか思ってるけど、美術館の受付嬢とギャラリーショップのお店番を初めてからはそうも言い切れない。うつくしいものをうつくしいと感じて、幸福そうな顔をして、わたしにお礼を言ってくれる見ず知らずの人々を見ていると、泣きそうな気分になってしまって。おかしいな。こんなはずじゃなかったのに。

なにがうつくしいのかわからなくなる。論理でどれほど明らかにしたところで、手にはつかめない感情の蒸留がある。わたしがものを書くのをためらうときに、思い出すのはあなたが流した涙だけだ。随分と皮肉なことだけど、どんな膨大な感想よりも、たった一言の「泣きました」が胸に強く熱く残って、いつまでも冷めない。できるだけ多くの、わたしの好きな人たちが、気分良く泣けるものが書ければいいと思う。何かにすがりつかないと越せない夜には、そういうものが必要だろう。うつくしいものが必要だと言ってくれ。今はもうそれだけでいい。