胸焼け

胸が痛くなるようなよろこびはいつも切なさを伴う。
それはじっとりと湿った雨あがりの陽射しのように、わたしの喉を焼いていく。
 
感動を伴わない生活は労働と大差ない。
感動したい。それなのに心を動かされる度にうなだれてしまう。
 
今やっている美術館のアルバイトの業務のひとつに、監視というのがある。
作品の破損がないか、アヤシいことがないかチェックしたりする仕事だ。
合間で、作品を鑑賞しているひとの、そのひたむきな背中を見ていると、
どうしてかうれしくって泣きそうになってしまう。わたしの作品じゃないのに。
押し黙って見つめる。もの言わぬ絵画を見ている、そのもの言わぬ背中を。
 
解けなかった問題の答えが、急に目の前に転がりこんできたような気持ちがしたんだ。
あなたがひとりキャンバスに向かうことも、
あのひとがなにかを求めて本を開くことも、
わたしがこんな風に夜中に日記を書くことも、
すべてがそこにむかって報われていくような、たしかな予感があった。
どんなに綺麗事だと言われようと、手数はまなざしによってしか報われない。
そこに理屈があってはだめだと思うのに、声は言葉をさがしている。
うつくしいものを、わたしはきっといちばん最初に忘れてしまう。
だから書き留めないといけない。言葉をなくしてしまう前に。