ご利益

実家に帰ってくると、遭難寸前まで歩くか、頭痛がするまでインターネットをしてしまう。なんだろうなあこれは。夜にやけに食べてしまうのは、何かの埋め合わせなんだろうか。おなかなんて別にすいてないのに。ばちがあたりそう。

 

なにか読んでないと、書いてないと不安だ。それによって幸せになれる確証なんてどこにもないのに、本を読む、詩を書く、美術館に行く、絵を見る、絵を描く算段をする、デザインのラフスケッチをしようとして、けっきょく日記を書く。これは何かの呪いでしょうか。

 

長野に帰ってきたら必ず行く古民家カフェは、行くたびに客層が豊かになる。おじいちゃんとかおばあちゃんが、席のゆずりあいをしてたり、「あらー、ひさしぶりだね」って地元民らしきおばさんたちが立ち話したりしてて、笑った。田舎のカフェはあったかい井戸端なんでしょうか。豆茶を飲みながらコクトーの詩集を読む。さむい日にあったかいお茶を飲めれば、それだけで幸せなはずなのに、贅沢するのをやめられない。だって好きだから。