激しさとやさしさ
きょうの雨はすこし冬のような感触がする
梅と雪と雨のまざる、すこし落ちつかない季節だね
会ってすぐに「また会おうね」と言われるとびっくりする
会えない間に何か不安にさせていたんだろうかと考える
きょう会って、帰り道にはもう会う気なんてなくなるかもしれないのに、
そういうこと考えないのかなって思うと、そのせっかちさがすこしおかしい
おかしくて、やさしいなと思う ありがとう
この前シモーヌ・ヴェイユという詩人の特集を読んでいたら、
「感覚的であることは暴力的である」という引用があった
その言葉について最近はたまに考える
何の説明もなしに共感ばかり求められると、窮屈だなと思う
「わかる~」よりも、「へえ、どうして?」のほうが多い
違う人生を生きてきた人と自分を並べたら、
同じ部分よりも、違う部分のほうが絶対に多いに決まってるのだから、
共感できないことをおもしろがったほうが効率的だし、やさしい気がする
でも「わかりやすいひと」というのにも憧れがある
いつもわーわー騒いでて、なんにも考えてなさそうで、幸せそうな人
幸せそうな人はやさしい
理屈に救われることもあれば感覚に救われることもあるから難しい
今の友人達には、職人になってほしい人もいればアーティストになってほしい人もいるし
医者になってほしい人もいれば旅人になってほしい人もいる
好きな人に好かれたいなら、好き勝手生きるほうがいいんじゃないかなって、最近よく思う
人のために生きるというのは、聞こえはいいけど人生の責任転嫁みたいで好きじゃない
奔放な人というのは身勝手だけど、その分こちらの勝手を許してくれることも多いから魅力的だ
だからさ、みんな勝手に幸せになろうよ