少女なんかじゃない
リリイ・シュシュのすべて、という暗い映画を見ていたら、
中学や高校のときのことを思い出して、驚いた。
忘れてしまっていることの多さに驚く。
こんなにあっさりとすべて忘れてしまえるんだね。
もう2度と見ないだろうけど、映画を見たっていう手応えがある…ような気がする。
(でも、同じ監督なら、花とアリスのほうが好き。バレエのシーンがすばらしかった。)
晴れがましい田園の中でヘッドフォンをして、言葉少なになっていく少年少女が痛ましかった。
少年少女! もうわたし、少年少女じゃないんだ。へんなの。
思ってみれば変な言葉だ。
セーラー服のスカーフは短ければ短い方が可愛いとか、
茶色いベストを着ていいのはギャルだけとか、
シャツの前を広げるのは2年生になってからとか、
ジャージの組み合わせは夏でも長袖と半ズボンとか、
変な宗教みたいな盲信にもまれながら生きてた時期。
そんなひとつひとつのルールからはみ出ないことが安全につながるんだって、
本能的に信じきっていたわたしたちに、少女という代名詞が似合ってたことなんか、一度もない。
東京にきてよかったなあ、と思うことがたびたびある。
それは主に一人暮らしを始めたこと。あといろんな人に出逢えたこと、
地元に帰って友人や家族と再会できること、それがよかったなと思う。
ちょうどいい距離感をやっと見つけた。
長野には帰りたいと思うけど、あの町に帰りたいというよりは山に帰りたい。
山が見たいなあ。今の時期は頂上にも裾野にも雪が降ってさぞ綺麗だろう。
大学に入ってからずっと幸せかというとそんなことはなくて、
1週間で2日分の睡眠時間しかとれなくて、卵サンドを食べながら気絶したり、
グループワークで嫌いな女の子に毎朝モーニングコールするのが嫌で、ヤケ食いのしすぎで早朝に吐いたりとかしたときは、
こんな生活もうやめたい……と心底思ったものだけど。
それもこれも、もはやぼんやりとしたうつくしい思い出になっていて。
こうやっていつか忘れてしまうんだろうなあ。
たまに泣いたり怒ったりするのはいいよ。
その時々では必死だし、それしか見えないけど、振り返れば全部退屈しのぎみたいなもんだから。
必要なのは選択すること。その責任をとる覚悟があること。
どんなに疲れてしまっても、ひとはうつくしくなくてはいけない。
実を言うといろいろ手つかずになってしまっているんだ。賢い同級生はみんなスーツを何度も着ているけど、わたしはまだ一度も着ていない。
とにかくやれることからやろうと、おべんきょう用に本を数冊買ってそれを読みあさっている。
哲学書なんか読んでると頭が痛くなってくるので、間に映画や漫画を挟む。
(そしてどこまで読んだか忘れる……)
この前教授に「あなたの書く詩とあなたに似てる」と教えてもらった小説があったので、
気分転換に読んでみたら、とんでもないド変態だったのでむせそうになった。どういうこと…