日々の安全性

何か嫌いなところがあったら言ってね って、やさしさみたいに言ってるけど、そのやさしさの向かう先は君であって私ではないよね。ということを数年経った今になって思う。そのときはそういう免罪符の売り合い、予防線の張り合いが楽しかったから言葉にしようと思えなかったのかな。


バイトに行ったら「無事でよかった~」と言われながらハグをされた。咄嗟に会話らしい言葉が出てこなくて、「あたたかい職場」とつぶやいたら笑われた。スキンシップは苦手なんだけど、そのときは嫌じゃなかった。今のバイト先の人たち、すごく情のあるいい人たちだから、次のバイト先もメンバーだけ同じにならないかな。

数日前に交通事故に遭い、乗っていた車をお釈迦にしてしまった。事故の瞬間、あ、死んだ と思ったから、今でも体が無傷なことが不思議でならない。正確には無傷ではなくて、筋肉のあちこちがたまに痛むのだが……。レントゲンをとったら、「首の骨がまっすぐすぎる」と言われた。普段から運動していないせいで首の筋肉が足りないらしい。言われながら、もう運転のことネタにできないな とか考えていた。してるけど。

自分もだけど、相手が死んでいなくてよかったと思う。周囲にその可能性を言う人はいなかった。私の味方でいてくれて、だから 生きててよかった 無事でよかった と言ってくれたのだった。言葉に感情や時間をかけることを惜しまないでいてくれる。自分が(やさしさだ)とそのときわかるやさしさをくれる人にばかり逢えているから、安全な日々をしくじっても、自分のことをそこまで嫌いにならずに済んでいるのかもしれない。

 

(以後、気をつけます......。)

あかり

台風が来て、地元のあちこちが荒れている。とりたてて家庭内に大きな被害はないのだけど、道にばらまかれた砂利を見ると、憂鬱にも幸福にもあまり居場所がなくて困ってしまう。一昨日寝るときにはもう停電していて、その夜、雨がどれくらい降るのかもわからなかったので、弟と「明日の朝、また会えるといいね」「今までありがとう…」と言い合ってから寝た。もちろん、お互い本気じゃない。

そういう風にあっけなく、ティッシュが破けるときみたいに、人と別れてしまうこともあるんだろう。その逆もあるだろうけど。好きな人の誰にも、つらい思いをしてほしくないな。

 

とりあえず電気がついてよかった。仏壇用のロウソクの光で食べる夕飯は縁起がいいのか悪いのかよくわからない。以前、灯りのつかない部屋で過ごす実験をしていたことを思い出した。結局、3ヶ月くらいロウソクの光で夜を過ごしていたんだったっけ。2ヶ月だったっけ。忘れてしまった。なんであんなことしていたんだろう。食事が不味いのはもちろん、本が読めなくて困った。今は明るい部屋にいて気持ちも明るい。

花の味

「しばらくは長野にいるから」と口にして、(そうなんだ)と自分で自分に相づちを打つ。こんな風に少しずつ、雲が形を変えるときのような速度で未来を選びとっている。たったひとつの会話、たった一度の行動で驚くほど変わってしまうこともあれば、何十回何百回と繰り返しても人生に傷ひとつ付けられないような、些細でありふれた習慣もある。そういう自分の生活のだらしなさに、考えることの強度のなさに、いつも力の抜けた笑いが漏れる。思い通りにならない。今はそれがうれしい。

何もわかっていないくせに何かをわかったような口をきける。言葉を覚えたおかげだ。むかし、哲学の授業で【正しい人間がいるのではない。正しい行いをした人間が正しい人間と呼ばれるのだ】みたいな内容のことを言っている、そういう文句を読んだのだけど、出典を忘れてしまった。私はこれを、教訓ではなく皮肉ととったのだけど、ほんとのところはどうなんだろう。自分の定義を他者に明け渡して、混乱していく人も明るくなっていく人も両方知っていて、それでも、ただひとつ(喋ってばかりの他人はうるさい)と思う。

草の中をふらふら歩いていたら、秋だね、空気が甘いねと今朝、バイト先の人が言った。息を吸いこむと舌の真ん中で花のような味がした。種明かしをひとつするとしたら、小児科で「甘い薬と苦い薬どっちがいい?」と聞かれて、「甘い薬」と答えて、吸った、ぜん息の薬の味ときっと同じような仕掛けの手品だった。

汚い

ポピュラーになりすぎたバラードの、もうバラードとしてシリアスに受け止めてもらえないさま。曲名と歌詞をあげつらう知人の半笑いに、何故か「他人事じゃない」と感じてしまう。まぎれもなく、他人事なのに。どうしてこんなに引っかかるんだろう。芸人のゴシップへのまじめな批判。漫画の結末への容赦ないツッコミ。人の熱意に水を差すやりかたがいくらでもあることに気づくとき、私まで、もうずっと半笑いで黙っていたくなる。人の本気さや真面目さや切実さの脆さは、つまり私達全員の人権の脆さだ。だからといって、全員に話を聞いてくれと言うつもりもない。全員が持っているものなんて、つきつめれば誰の持ち物でもない。ただ、目をそらされるとすこし哀しくなるだけで。

この前、長野市に用事があって駅前のあたりを歩いた。美術予備校に通っていたときの記憶がまざまざと蘇ってきて、空気を硬水のように、喉に重く感じた。鉛筆デッサンの講評で「ひとりだけ木炭で描いてるみたい」と言われて、私にも未来とかあるんだろうかと汚い右手で、半目になって空を見ながら帰った。ああいうときに見る星の光って美しすぎて、滑ってると思う。「度胸があるのはいいことだけど」とフォローしてくれた。それ、よく言われるけど、裏目に出てるときにしか「度胸」って言われないなーと、意識の底でうすーく思った。あのときも、講評の終わりにちゃんと「ありがとうございます」って言ったかな。ああいうのって、こちらから何か言わないと先生、終われないんだよね。べつに何を言ってもいいんだけど、「ありがとうございます」って言ったんだろうな。私は叱られても褒められても、すぐ「ありがとうございます」とか言う。そのときはほんとうにそう思っているけど、そのあと、デッサンで大学に合格できるほどには上達できなかったことが、まだ胸のあたりで燃えるように悔しい。

期待するくせに信じてはいない。自分の臆病さが心底きらいだが、あるものを無いかのように振る舞うのは、二百年に満たない人生にもう充分だと思ってしまう。汚いものは汚いままで楽しむこともできる。そういう正しい言い方を探している。

混じり気

高円寺に、大学の先輩の展示を見に行った。長野からきて、長野に帰ると言ったら驚かせてしまった。引越しやらなんやらで、先月から東京と長野を行ったりきたりしているから、自分としてはそこまで驚かすつもりはなかったのだ。追いかけるように台風がきているのには驚いたけど。(新幹線の終電には、なんとか間に合った)友人達にも会えて、話ができてたのしかった。会わない期間にあったいろんな悲しいこと、悔しいことを、おそらくお互いにうっすらと感じ取ってはいたのだけど、それには踏みこまずに、よかったことや夢について話した。たぶん、揃って会うのが久しぶりすぎて、すこし人見知りみたいになっていたせいもあるんだけど、友人達と先輩の、静かに燃える炎のような、やわらかい雰囲気になんだか薄く感動すらしたし、毒を抜かれてしまった気がする。

綺麗なものを綺麗なまま見せることや、優しさを優しさのまま人に手渡すことは、実はとても難しい。皮肉や毒を混ぜた方が、より「ほんとう」らしくなることを知っている。自分がそういうことをしがちなことも。それが好ましいかはさておき、事実だ。でも、それでよかったのか、ということをたまに考える。楽しさや好意をそのまま伝えて、おそらくそのままの形で受け取ってくれる人にばかり会っていると、当たり前ということにして、歪ませたままにしておいた自分の定点が急に際だって、なんだかうなじあたりがムズムズとしてくる。どうしてそんなふうに、優しいままでいてくれるんだろう。

山の履歴

前髪の毛先が睫毛の根元あたりをこするから、また美容院に行かないといけない。自分できれいに整えられたらいいのだけど、切り揃えるのは苦手で、どうもショッキングな仕上がりになってしまう。ものづくりの学校を出ているのに手先が器用でないなんて、つまらない人間だなと思う。絵もうまくない。

新しいバイト先で、昨日それぞれ自己紹介をしあったのだけど、自分の人生の辻褄のあってなさに、(あ〜あ)となった。あわせようとすればあわせられるのかもしれないけど、そういう恣意的な生活は、それはそれでおもしろくないということを、もう知っている。

インドから帰国してきたばかり という非常に気になる人がいて、旦那さんと一緒にお店を開くために長野に戻って来たと言うので、どんなことをするのか話を聞いたら、私が‘‘里’’と呼んでバカにしている地元の町に、カレーと珈琲のお店をつくってくれるらしい。しかも出身の大学が同じだった。一瞬で心を開いてしまった。こんな山奥で、ルーツの重なる人に出会えると不思議なもので、わかりやすい履歴書にならない暮らしをしていても、何かが自分の中にしずかに積もっているような気がしてしまう。うれしかった。冗談で、「繁盛したら手伝いにきてよ」と言ってくれた。繁盛させなくてはならない。

旧作フォルダ

花火が見えるよと言われて階段を上がって行ったら、窓から小さい花火が見えた。近所の高校が後夜祭をしているようだった。あの花火の下に、今日が高校生活最後の文化祭 という人々がいるのか、と思ったら、なんだかゾッとした。自分が10代じゃなくなってからも世の中に10代の人はたくさんいるし、弟達が10代じゃなくなってからも世の中に10代の人はたくさんいて、その体は私達のものとはまるで違う人のものであるということ。そんな当たり前のことに、得体の知れない戸惑いを覚える。校舎とか行事とか制服とか、そういう舞台装置がまだ自分に続いているもの だなんて、なんでそんな風に思えてしまうんだろう。かんたんになりたいと願うくせに、そういう自分の安直さには退屈してしまう。

そうだ、引越し終わりました。向こうでは人に会って、奥多摩の鍾乳洞に行ったりピザを食べたりコーヒーを飲んだりして、現実逃避をさせてもらいながら退去の手続きをあれやこれやと済ませてきたのだけど、帰って来たら親に「顔が丸くなったね」と言われた。それは元々だ。あと荷造りを始めてから目の下がすこし腫れてしまって、メガネ生活を強いられていたのだけど、段ボールの運び出しが終わった翌朝に治っていた。体が正直すぎるのではないか。いくらなんでも、生活に必要なストレスには耐えたほうがいいのではないか……。これはでも今更だ。そんなわけでコンディションは最悪だったけどいろんな人に会ってもらえて、うれしかった。ジゼルに載っていそうな上品な装いの先輩が、珈琲西武の真っ赤なソファに座りながらマッチで煙草に火を点けていたとき、壁画みたいでワクワクした。写真を撮りたかったけど、撮れなかったからここに書いておく。

今の自分にとって、思い出は懐かしさではなく疎ましさのフォルダに入っているもののほうが多くて、だからこういう日記が書けることに助かったりする。ほんとうはもっと早く、新しい体験をして新しい思い出を増やして、傷つくような過去から遠ざかりたいと思っていたのだけど、ずっとできなかった。だから繰り返す嫌な思い出に、くれぐれも新鮮な感想を覚えないように、こうして書き出すことで時間を半殺しにしていた。でも、やっとそれが腕で足でやれるだけの体力がついた。ついたってことにしていい?

段ボールを出しきって、振り返ったときに「私はこの部屋が好きだった」と思った。4畳半程度の狭い部屋。窓の多い、チープで可愛い照明のある部屋。できるなら次に住む部屋では、嫌いな人ではなく、好きな人たちのことを思い出す時間を多くとれるようにしたい。次に暮らす部屋を選ぶのが、いつになるのかわからないが。とりあえず、長野の夜は涼しくてよく眠れそうだ。