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あたり

買ったばかりのスニーカーで散歩していたら、左足が靴擦れになってしまった。からだのどこかが痛いと、マイナス思考になってしまう。何かいいことないかな、と思いながら自販機でココアを買うと、ぴーっと音が鳴って、もしや、と数字を見たら、当たっていた。いや、そういうことじゃなくて。と、つっこみながらもあわてて「ほっとゆずれもん」のボタンを押す。 がこん! しまった、両方、あったか〜いし、あま〜い……。と、後悔しながら両方を手にとる。あったかい。ちょっと、うれしいかも。うん、うれしいってことにしよう。春にはすこしにぶすぎる、ペットボトルの輪郭をなでる。

脱線

こんこんと12時間ねむりつづけた。くたびれると、すぐ夜更かしに甘えたくなるけど、やはり睡眠は効く。睡眠と日光が憂鬱に効く。荒れ地となった部屋の手入れでもしようと思っていたのだけど、せっかくの休みなので、すべてをほったらかして、買い物をしに行くことにする。日光がきもちいいせいで、バス停を通り過ぎて駅まで歩いてしまう。わたしは予定外の予定を愛する。

脱線に脱線を重ね、仕事用のスニーカーを買いに行ったのに、気づいたら両手に本をかかえていた。もうだめだ。帰り道、行ったことのないお店に行ってみたくなって、人形の館 というカフェバーでだらだらした。ダッチコーヒー、というコーヒーを頼んだのだけど、ひさしぶりにコーヒーを「おいしい」と思った。はずかしい話、わたしはコーヒーの区別というものがたいしてつかない。ここのコーヒーは区別がつくコーヒーだ。うれしかった。薄暗い店内のあちこちに、ビールの王冠やら古い雑誌やらが積みあがっている。たからものだ、と思った。ここにあるものは全部、たからもので、だからか、ごちゃごちゃとしているのに、とても落ちつく。大学で、いいものにはたくさん触れてきたけれど、こういうたからものには、なかなか出会えない。

たからものといいものはちがうんだよ。そんなこと考えたことないかもしれないけどさ。わたしは考えなくてもいいようなことを、結論を出すこともなく考えていたいだけなんだ、と思った。しあわせになった。たいせつなことを思い出せたから。

大丈夫にならない方法

朝、大学に行っていつも通り仕事をしていたら、備品を返しにきた学生が「朝からたいへんですね」と心配してくれた。こんな卒業制作まっさかりのたいへんな時期に、仕事している人間を気づかってくれるなんて、やさしい子だと思った。てらいのないやさしさに出会うたび、もっとしっかりしなくっちゃと思う。思うんだけど、しっかりしていない。おかしいな。昨年よりはマシになったはずなんだけど。

そう。マシになった。ダメだったのに、いつのまにか大丈夫になっていく。朝同じ時間に起きることも、同じ道を通うことも、最初は納得のいかなかったいくつかの仕事内容も、できなかったコミュニケーションも、いつしか大丈夫になって、気にならなくなって、なじんでいく。それを成長という単語にかえて呼ぶこともできるのだけれど、というか、それがこの世の常なのだけれど、なぜか違和感がぬぐえない。わたしは大丈夫なんだろうか。闇にむかって、吐いた息が白すぎる。ああこれは溜め息だ。溜め息という名前のついたひとつの人間の仕草で、今のわたしにふさわしい呼吸方法にすぎない。もっと自分のふるまいに無関心になれば生きやすい。でも、それは生きてるって言えるのかな。

ハンバーガーなどを食べよう

寒さに舞いあがってしまうから、冬はもう終わっていい。わたしの部屋は西向きで、外に出ないと朝がこないから、いつも心の準備ができずに扉を開けるのだけど、まぶしくてびっくりするよ。でも、まあいい。べつに、それはいい。朝は寒すぎないほうがいいけど、空は晴れていたほうがいい。

きょうも働いたなあ。生きのびたなあ。わたしは働くまえの朝が嫌いで、働いたあとの夕方が好き。喫茶店のランチタイムのピークは、わたしが今までの人生で出してきたスピードをやすやすと上回る値を求めてくる。死ぬ気でやっても追いつかない。本気でやっているつもりなんだけど、くじけないようにへらへらしていたら「響いてないのかな」と先輩が悩んでいる場面に遭遇した。裏目にでてる……。でも、どうしたらいいのかわかんない。ネットで診断とかしてみても悔しいくらい健康だし、医学が実証してくれない以上、わたしのぼんやりもうっかりも、ただの甘えなんだな。なおせるものならなおしたいな。あとひと月で……。え、できるかな?

自分のふがいなさを思い知ったあとに、星空を見ながら将来のことなんか考えちゃうと、うっかり「書くか死ぬかしかねえな」とつぶやきそうになるけれど、それは大げさすぎるって、と自分につっこむくらいの正常さというか、冷静さを持ちあわせているおかげで、わたしのかなしみは持続せず、家について、ハンバーガーなどを食べてるあいだに消えてしまう。そう。落ちこんでいるときは、まずお湯で手を洗う。それから食事。どうにもこうにもいかなくなったら、一度死ぬつもりで目を閉じる。どうせ、朝になれば目はさめるので。

まさかの健康

家についたらまだ、ばらが咲いていた。喫茶店の先輩がお店を辞める日にくれた、赤いばら。茎を整えて花瓶にさしてしまってから、翌日から家を空けることを思い出したのだった。残念だけど、帰るころにはもう枯れているだろうなと思った。しかし年が明けたその日、花は堂々とした満開のまま、わたしを迎えてくれた。うれしかった。重たそうな花びらをつつく。びくともしない。

実家を出るときにはさみしかったはずなのに、東京の部屋についてみると、それはそれで落ちついてしまうから不思議だ。まあいいかそれくらい。やらなくてはならないことが山積みの毎日の、朝が苦しいことに変わりはないし。最近さみしがりだな。この前も友人を2時間のドライブにつきあわせてしまったし、ママさんやお客さんの顔を見ると1ヶ月後の別れがしんどくて帰り道につらくなる。もうすこしあっさりとした人間だったはずなのになあ。

執着することはきらいだ。でもわたしにかなしみを教えてくれた、数々の人の情けに、感謝しなくもないような。いやいいや。もうすこしくらい、ふさいでも。もたれあったりひき離されたりして、あなたもわたしも一人で生きていく。元気でやってください。元気でいるから。受け入れたら、口ずさむ音楽がだんだん明るくなっていく。猫背をすこしのばしてみる。ほったらかしのばらみたいに、思っていたより丈夫なこころがあるんだ。

夜道

このごろ、夜空やばい、って思うんだよね。ヤンキーみたいに。夜空やばい。ほとんど宇宙だし。なんだこれ。頭がふわっふわだな。今日もまた終電か。帰り道がさむいことはそんなに苦じゃない。喫茶店の忘年会だった。たくさんの人のあつまりが苦手で、今日も緊張しながら行った。最終的にハグされてお土産いっぱいもたされて帰った。片手には赤い薔薇が一輪。なにこの生活。

なにを喋ったのかなんにも覚えてない。でも、あ、そうだ、覚えてる。「ああ見えて腹黒」とか「人を馬鹿にしてる」とか、よく言われるんだけど、今日もまた言われた。なんてこったい。わたしはわたしの考えていることがよくわからないんだけど、びっくりするのは見透かされているからなんだろうか。困ったな。

たしかに、むかしは自分以外の人のことなんてどうでもよかった。おままごとの誘いを断ってひとりでブランコしに行く小学生だった。だから周りにあわせてテレビを見たり、みんなの中心に立ってひとの世話を焼いたり、笑いをとったりする、そういうひとの優しさや明るさがうらやましかった。いや、今も。ひとはすきだ。でもわたしのすきなことはいつも、ひとりのほうがうまくできたんだ。

たとえば詩とか。なんで書いてるのって聞かれても困る。いつ書いてるのって聞かれるのも困る。詩について聞かれると、ほんとうに勝手に書いているだけだから、そうやってなんとか暮らしているというだけで、お金をもらってるわけでもないから、いたたまれなくなる。ただわたしからこれをとったらもう何も残らないような気がする。でもそれすらもわたしの思い込みにすぎなくて、喫茶店で会うひとは何も喋らないわたしを褒めてくれるんだけどね。はは。やめてくれ。やめないでくれ。いや、やっぱりこんなのはずるい。買いかぶられている。落ちこむ。

わたしは退屈な毎日にすこしの刺激がほしいだけの、おもしろくなりたかったつまらない人間で、こういうぼんやりとした鬱憤を、すこしでもぴったりとした言葉にかえることで消化することしかできない。ハッタリが得意なせいでうっかり幸せになってしまうこともあるけど、現実的な生活は不得意だ。どうやって生きていこうかなんて、モラトリアムなことをまた考えあぐねてしまう。あの日おおきな夢を語ってくれた、きみもいずれは、デザイナーなんて肩書きを背負って、ちょっと器用なだけのサラリーマンになるのかもしれない。それはごく当たり前でありきたりな変化だから、誰もきみを責めはしないと思うよ。安心していい。でもわたしだけは、そのときの夕焼けの綺麗さとか声の熱っぽさとかを覚えていて、自分の現状がどうあれ、変わってしまった姿を馬鹿にしようと思う。だってあの日のきみのほうが、今のきみよりわたしには大事だからさ。

息を吐いても、深夜の道路には誰もいない。寂しいね。でも人のそばにいるほうが寂しいにきまってるよ。なんてね。深刻なことは考えない方が幸せになれるよ。でもちょっとは考えて、苦しんで、ほんとうに幸せになろうよ。星が綺麗だねえ。

行方不明

昨夜はひどいどしゃ降りだった。バイト帰り、いつも通り満員電車に乗っていたら、足下に傘が落ちてきた。どうも左前で立ったまま寝ているおじさんのもののようだ。みんな気づいているけど知らんぷりしている。いたたまれず、わたしは「落とされましたよ」と、寝ているおじさんに声をかける。うとうとした目がわたしに気づき、「あ〜どうもどうも!」と傘を受けとる。が、数秒でまた寝てしまう。そして当然のようにまた、傘が足下に落ちる。どうするべきか迷い、ぼうっとそれをながめていた。拾おうか。このまま床に横たえておこうか。そうこうしているうちに、ふいに横から30代前半くらいの男の人が現れ、それを拾った。なんだ、同じことを考えている人が車内にもいたのか。ほっとしてそのひとを見上げると、なんだか顔つきがおかしい。どうするのか気になって様子を見ていたら、次の駅で足早に降りて行ってしまった。傘をもったまま。わたしは呆然として、雨粒が激しく流れる車窓をながめた。

らしょうもん。

とある文学作品のタイトルが、ふいに、頭のなかを走って行った。