夜道

このごろ、夜空やばい、って思うんだよね。ヤンキーみたいに。夜空やばい。ほとんど宇宙だし。なんだこれ。頭がふわっふわだな。今日もまた終電か。帰り道がさむいことはそんなに苦じゃない。喫茶店の忘年会だった。たくさんの人のあつまりが苦手で、今日も緊張しながら行った。最終的にハグされてお土産いっぱいもたされて帰った。片手には赤い薔薇が一輪。なにこの生活。

なにを喋ったのかなんにも覚えてない。でも、あ、そうだ、覚えてる。「ああ見えて腹黒」とか「人を馬鹿にしてる」とか、よく言われるんだけど、今日もまた言われた。なんてこったい。わたしはわたしの考えていることがよくわからないんだけど、びっくりするのは見透かされているからなんだろうか。困ったな。

たしかに、むかしは自分以外の人のことなんてどうでもよかった。おままごとの誘いを断ってひとりでブランコしに行く小学生だった。だから周りにあわせてテレビを見たり、みんなの中心に立ってひとの世話を焼いたり、笑いをとったりする、そういうひとの優しさや明るさがうらやましかった。いや、今も。ひとはすきだ。でもわたしのすきなことはいつも、ひとりのほうがうまくできたんだ。

たとえば詩とか。なんで書いてるのって聞かれても困る。いつ書いてるのって聞かれるのも困る。詩について聞かれると、ほんとうに勝手に書いているだけだから、そうやってなんとか暮らしているというだけで、お金をもらってるわけでもないから、いたたまれなくなる。ただわたしからこれをとったらもう何も残らないような気がする。でもそれすらもわたしの思い込みにすぎなくて、喫茶店で会うひとは何も喋らないわたしを褒めてくれるんだけどね。はは。やめてくれ。やめないでくれ。いや、やっぱりこんなのはずるい。買いかぶられている。落ちこむ。

わたしは退屈な毎日にすこしの刺激がほしいだけの、おもしろくなりたかったつまらない人間で、こういうぼんやりとした鬱憤を、すこしでもぴったりとした言葉にかえることで消化することしかできない。ハッタリが得意なせいでうっかり幸せになってしまうこともあるけど、現実的な生活は不得意だ。どうやって生きていこうかなんて、モラトリアムなことをまた考えあぐねてしまう。あの日おおきな夢を語ってくれた、きみもいずれは、デザイナーなんて肩書きを背負って、ちょっと器用なだけのサラリーマンになるのかもしれない。それはごく当たり前でありきたりな変化だから、誰もきみを責めはしないと思うよ。安心していい。でもわたしだけは、そのときの夕焼けの綺麗さとか声の熱っぽさとかを覚えていて、自分の現状がどうあれ、変わってしまった姿を馬鹿にしようと思う。だってあの日のきみのほうが、今のきみよりわたしには大事だからさ。

息を吐いても、深夜の道路には誰もいない。寂しいね。でも人のそばにいるほうが寂しいにきまってるよ。なんてね。深刻なことは考えない方が幸せになれるよ。でもちょっとは考えて、苦しんで、ほんとうに幸せになろうよ。星が綺麗だねえ。

行方不明

昨夜はひどいどしゃ降りだった。バイト帰り、いつも通り満員電車に乗っていたら、足下に傘が落ちてきた。どうも左前で立ったまま寝ているおじさんのもののようだ。みんな気づいているけど知らんぷりしている。いたたまれず、わたしは「落とされましたよ」と、寝ているおじさんに声をかける。うとうとした目がわたしに気づき、「あ〜どうもどうも!」と傘を受けとる。が、数秒でまた寝てしまう。そして当然のようにまた、傘が足下に落ちる。どうするべきか迷い、ぼうっとそれをながめていた。拾おうか。このまま床に横たえておこうか。そうこうしているうちに、ふいに横から30代前半くらいの男の人が現れ、それを拾った。なんだ、同じことを考えている人が車内にもいたのか。ほっとしてそのひとを見上げると、なんだか顔つきがおかしい。どうするのか気になって様子を見ていたら、次の駅で足早に降りて行ってしまった。傘をもったまま。わたしは呆然として、雨粒が激しく流れる車窓をながめた。

らしょうもん。

とある文学作品のタイトルが、ふいに、頭のなかを走って行った。

今日は日曜日ですか?

待ち合わせまでまだ時間があったので、駅前をふらついていたら、横道から現れたおじさんに突然「すみません!!今日は日曜日ですか!?」と聞かれた。驚いて「はい!!」と即答した。おじさんは「そうですか…」とさがっていった。なんだったんだろう。びっくりさせられたけど、なぜか嫌いになれないおじさんだったな。

人生にたまに現れるバグみたいな人のことを愛する。つじつまが合うことばかりを求めていると、生きていることが物語にのっとられてしまって、味気ないからだ。

バスを待っている時間に自分の着ている服をながめた。クリーニング屋に行く時間がなくて、同じコートばかり着ている。飽きちゃったな。こればっかりを着ているわたしのせいなんだけど。あくびをして、空を見上げる。冬のひかりが綺麗でかなしい。今日のわたしはすこしセンチメンタルすぎるかもしれない。たぶん消費期限の切れた鶏肉を食べたせいだ。ちがうかもしれないけど、今のところ言葉にするのはその理由だけでいい。

ワンコイン

百円玉と五十円玉だったらどちらのほうがほしいだろうか。今日はずっと、帰りの電車でそのことを考えていた。わたしの働いている喫茶店のランチセットは九百五十円で、だいたいのひとは会計のときに千円札を一枚、お財布からだす。でも、千円札と、五十円玉一枚をだすひとが、たまにいる。千円札一枚なら、おつりは五十円玉いちまい。そこに五十円玉を加えると、百円玉いちまい。財布に残るコインの枚数は変わらない。なんでわざわざ五十円玉? いつも気になる。でも聞けない。みんな、五十円玉より百円玉のほうがすきなのかな。気になって、いっしょにバイトに入ってる人たちに聞いてみた。ひとりはおもしろがってくれたけど、もうひとりにはそんなこと聞くなみたいな顔をされてしまった。あちゃあ。だって気になるんだもん。気にならないのかな。

今のところ「五十円玉は穴があいてるからだめ」という考察がおもしろいのですが、もっとおもしろい意見があればお寄せください。

月曜日のゴミ

ココアの空き缶を捨てるため 外に出る
夜はいつも わたしが思うよりあかるい
こんなことあまりにも当たり前すぎて
今さら口にしたくはないのだけれど
やはり星は多く見えるにこしたことはないし
どんなに冬だと言いふくめたところで
夜は寒すぎないほうがいいのかもしれない

来年の自分がなにをしているのか
わからない日々がもう3年あまり
つづいていて
それはもしかしたら
おかしいことなのかもしれないと
あなたに忠告されるたびに
案じる自分がここにいるのに
部屋にもどれば
誰もいないやさしさに
まぎれてしまう程度のことだとわかる

ゆるされなくてもいいよ
なにも悔やんでいないんだ

あなたがゆずれないと思っている
年齢とか収入といった
数字で説明できるような
だいたいのことはどうでもよくて
人身事故を休みなくうみ出しつづける
この国の社会の仕組みについては
ほとんど覚えていられない
どんなに速く歩いたところで
豊かさにも惨めさにも
いずれは慣れてしまうじゃないか

だからわたしはできるだけ
生活の耐えられない退屈さに気づかないように
あたたかいものや やわらかいものをつかって
自分の頭を混乱させることだけを考えているんだけど
こんなこと あなたは今さら気づかないほうがいいだろうから
わたしはとりあえず
年末に食べたいごちそうのことを考えて
メールを打つため 部屋に戻る

眠りはいつもきみにやさしい

風がくる
夕方4時半
何も急かされてなどいない
私のからだは
ただ深く
息をするためだけにあって

おいしい

好きだ 
行こう 
夜へと

地面がぐらぐらするような
疲れのなかでも
ふと立ちどまるのは
また忘れ物をしていないか
心配だからだけど
あわただしさにつぶされてしまう程度の
私たちのいたみやつらさは
6時間の眠りで薄まり色落ち
朝には捨ててしまうだろう

置いていくよ

さっき教室で喋った
きみも元気がなかったことが
私の今夜の気がかりだけど
そのありきたりな絶望は
夕飯のからあげ
かじって飲みこんでいるうちに
段々どうでもよくなるだろうから
今日のところはもう
がんばらないで眠ってほしい

大丈夫だよ

それでも胸が重いときには
私の言ったことの全てを
自分を肯定するために使えばいい

あたたかくして
深く
息をして
イメージして
夢を見ることが
うまくなるまでくり返して

 

きみにやさしい世界におやすみ

風にめざめる

現実にひきもどされる。電車のドアが開いた瞬間、ふゆのにおいがしたのだ、たしかに。四角いフレームの中にはコンクリートの壁しかない。けれどむこうに「冬」とラベルの貼られた季節がたたずみ、わたしにこれまでの何かを思い出させる。首と手の甲にあたって、くだける風が、やけに張りつめている。痛い。でも、打ちのめされることと感動することは、だいたい同じこと。だから寒いと、すこしうれしい。イヤフォンを外して、風のつよい帰り道を歩く。気づいたことがある。言葉が戻ってきている。ずっと待っていた。言葉がわたしに戻ってくることを。また待っていた。人に心配してもらいながら。何もできず。この夜の深まりを待ちわびた。おかえり。わたしはわたしの言葉たちに、軽く声をかける。喜びがある。めざまし時計よりも30分はやく目がさめてしまった朝のような、ささやかな絶望がある。

わたしのいるところは、いつも明るすぎてまぶしい。かくれていたいような、大声でさわぎたてたいような、矛盾したきもちで、いったいいつまで逃げるのだろう。どんなにかくれたとしても、またきみ達は、明るくわたしの名前を呼ぶのだろうし、わたしはなんてことのない顔で、作業のように返事をしたり、自分をかくせず慌てたりする。それでいい。もうすこしだけ、困ったり笑ったり助けたり助けられたり怒ったり怒られたりしていよう。ほんのすこしだけマシな人間になりたい。感謝してる。あてつけに近い、そのやさしさに。