風にめざめる
現実にひきもどされる。電車のドアが開いた瞬間、ふゆのにおいがしたのだ、たしかに。四角いフレームの中にはコンクリートの壁しかない。けれどむこうに「冬」とラベルの貼られた季節がたたずみ、わたしにこれまでの何かを思い出させる。首と手の甲にあたって、くだける風が、やけに張りつめている。痛い。でも、打ちのめされることと感動することは、だいたい同じこと。だから寒いと、すこしうれしい。イヤフォンを外して、風のつよい帰り道を歩く。気づいたことがある。言葉が戻ってきている。ずっと待っていた。言葉がわたしに戻ってくることを。また待っていた。人に心配してもらいながら。何もできず。この夜の深まりを待ちわびた。おかえり。わたしはわたしの言葉たちに、軽く声をかける。喜びがある。めざまし時計よりも30分はやく目がさめてしまった朝のような、ささやかな絶望がある。
わたしのいるところは、いつも明るすぎてまぶしい。かくれていたいような、大声でさわぎたてたいような、矛盾したきもちで、いったいいつまで逃げるのだろう。どんなにかくれたとしても、またきみ達は、明るくわたしの名前を呼ぶのだろうし、わたしはなんてことのない顔で、作業のように返事をしたり、自分をかくせず慌てたりする。それでいい。もうすこしだけ、困ったり笑ったり助けたり助けられたり怒ったり怒られたりしていよう。ほんのすこしだけマシな人間になりたい。感謝してる。あてつけに近い、そのやさしさに。
生きる冬
「アンディモリ」とだけ携帯にメモしてあったので、気になってツタヤで借りた。ミュージシャンの名前だということは覚えていた。でも誰にすすめられてメモをしたのかは忘れてしまった。わたしにアンディモリを教えたのは誰。名乗りでてください。
帰りにブーツで走ったら頭ががんがんした。ゆれるせかい。なんだこれ。つかれてんのかな。どこもかしこも過労だね。もう忙しいのは飽きたわ。そうも言ってられねえわ。すこし速めに歩いてお茶ばかり飲む。それでもひとりになると、いろいろ、勉強しないとだめだ、がんばらないとだめだ、と思うのだけど、今日は封筒に宛名を書くので精一杯だった。現代詩文庫15冊読んだら体調をくずしたし。どうがんばったらいいのかわからない夜は腹にくるまり、ただでさえ遅いわたしの速度をさらに鈍らせる。今にも眠りにつきそうな日々。生きることが冬。これが地球のうえの話なら、いずれは春もくるだろう。そう思って眠る。ただそれだけ。
傘の不思議
小雨なので傘はささなくていいかと思った。しかし家を出てバス停につくころには本降りになっていた。ぼーっと木の下で待っていたら、見知らぬ婦人が「よければすこしはいってください」と、傘を半分貸してくれた。これで知らない女性に傘をさしてもらうのは2度目。貸してもらうのは4度目。天の助けなんだろうか。人に話すと「ふつう、人生でそんなこと起こらないよ」と言われてしまう。起こりまくってしまう。なぜだろう。バスを待つ10分間、とぎれとぎれに、ぽつぽつとどうでもいい話をした。このへんに住んでいるのかとか、なにをつくっているのかとか。たいした話をできなかったな。どうかあのひとに、明日いいことが起こりますように。
さらば(そういうことなら)
わたしなりの追悼で書き始めた俳句が、夕方やっとまとまった。きょうは祖母の四十九日だった。偶然きのう知ったのだけど。明日原稿用紙にまとめて封筒に入れよう。すこし楽になった今となっても、人が死ぬということはよくわからない。これについて話そうとすると、自分の体のおしまいに頭がひっぱられてしまって、陽気なことは何も思いつかなくなりそうだ。だから空とか花とかの話をして、わたしはできるだけきもちをぼんやりとさせておく努力をする。明日の朝は何を食べようか。
どこに行ってもゴシップだらけのような気がして、そしてそれをほったらかしておいたほうがいいような気がしていて、しばらく詩の話をしていない。別れの挨拶ばかり上手く綺麗になっていく。さよならだけが人生じゃないなら、これからは悪口よりも、きみの好きなひとの話を聞かせてほしい。
無口なおまえは、落ち葉を踏みに行けばいい
コーヒーを2杯も飲んでしまう前に出かけようか
雨のあとだから 道路には枯れ葉が散らばって
すがすがしくなる破壊のあとだ うつくしいよ
木々は眠りにつこうとしているのに
ブルーのあかりを灯してあらがう
おまえたちは今年も
人工的な色のセーターで
肌色をすこし隠したくらいで安心した
ことにして
歩いて行くしかないんだね
どうぶつの言葉がわからなくなってしまった
あとの世界で
危険を教えてくれるものは何も無いから
せいぜい コートのポケットのなかに
今日もiPhoneと家の鍵があるかどうか
それくらいは確認しておいたほうがいいだろう
そういった作業に一切の感傷をはさまないことに
いいかげんうんざりしているとしても
そういう文句は世界にむけて言うべきであって
隣人にぶつけてもしかたがないということを
不必要なまでに理解するようになった
無口なおまえは落ち葉を踏みに行けばいい
秋の星よりとうめいなひかり
喫茶店のカウンターで水を飲んでいたら、十字の形の星の名前を聞かれたんだけど、わかんないから素直に「知らないです」って言ったんだ。そうしたら「詩人なのに星のことを知らなくていいの?」ってせめられた。たぶん占い師とかと混同しているんだけど、なんだかセンスのあるセリフだったから、思わず「勉強します」って答えちゃった。わたし、覚えるよ、カシオペヤ・オリオン・アンドロメダ。この町からも見えるのかどうか、知らないけど。でも勉強なんてものはだいたい、役に立つかどうかなんてどうでもいいものばかりだから。
覚えていられることにはかぎりがある。メモをとれない感情が、いつもからだに有り余る。なにか、あなたにどうしても言っておきたいことがあったんだけど、あなたを目の前にすると、それを失ってしまう。いつだって、それはかすかでこころもとない。とおくでしずかに点滅する灯台の合図のように。わからない。それが何なのかまだよくわからない。そちらに行かなくてはいけないとわかっている。でもその方角は風がつめたいから、動きたくない。肌が切れそうにひどい。こんな風をずっと前にも感じていた気がする。だからだろうか、あなたのことがなつかしい。